博士の起訴が決まってまずしたことは保釈の申し立てである。
日本では保釈は検察官が起訴した後にしか認められないからである。
この事件で、博士が拘置所にいれば勝利はありえないことは分かっていた。しかし、日本は保釈率が異常に低い。無罪を主張していたらまず保釈はでない。映画もびっくりな異常な世界が日本の刑事司法の常識だったりするのである。
保釈前の裁判官と面談が保釈成功のための正念場であった。裁判官は得てして優秀な人が多いのであるが、面談に対応した裁判官は特に切れ者の雰囲気であった。一番困るのは、何となくよく分からないから検察官の言うようにという裁判官である。絶望的な状況ではあったが、彼ならというかすかな期待があった。
翌日、500万円というこの手の事案では高い保釈金と一部の者の面談禁止を条件に保釈を認める決定が出た。裁判官としてもギリギリであったのだろう。よく保釈を認めたと今でも思う。
しかし、世の中そんなに甘くない。すかさず保釈の取り消しを求めて、検察官から準抗告・執行停止の申し立てがなされたのである。
長い長い1日の始まりである。
裁判所からは公判があるらしく準抗告はすぐに判断できないという連絡が入った。書記官からはもしかして追加の保釈金を求めるかも知れないのでとか言ってくるのであわてて銀行に行ってお金をおろしたり、さすがに引き出しすぎだろと少し戻したり、その間に検察からは拘置所に移管したという連絡が入ったり、マスコミから取材希望の電話がかかってくるので断ったり、マスコミから拘置所に移したかどうかを確認してきたりするので知らないと言ってみたり、夜も遅くなったので、その日のうちに準抗告が棄却されたらその日のうちに釈放するように検察に交渉したり、その間にパソコンを開いてカタカタ他の仕事をしてみたり。
結局、準抗告が認められず保釈が決まったのは夜の10時前であった。
裁判所から京都の拘置所までクルマで少し行く必要がある。拘置所に着いたら、マスコミだらけであった。この手の報道は顔を写すのが必須である。
私は、疲れている博士の顔を写させないことにしていた。なぜなら、疲れた顔は誰でも犯罪者のように見えるからである。
逮捕直後のダサいベストの格好は最悪であった。
同じことになってはいけない。しかも、保釈の際の写真は場合によれば何度も使われる。撮られるならば元気になったところで撮影されることを考えていたのである。
拘置所では、ライトの担当者がこちらを照らしてくる。
「こりゃやっとれんわ」
と、拘置所の職員さんに御願いして、ガレージの中でクルマに乗せることにした。クルマに乗る際が最大のシャッターチャンスだからである。ガレージにクルマを入れると分かった瞬間怒号が飛んできた。
「何で撮らせねぇんだ」
見ると明らかにその手の週刊誌の突撃系カメラマンである。
「お前さんが撮るからだろうが。」
と私はつぶやいた。ケンカや説得をする気力もない。私も長い準抗告に憔悴しきっていたのである。
そうしているうちに、
「どうも」
といつもの調子でガレージに博士が現れた。チェックのシャツを着て鞄を持っていた。
「オタクシャツや」
私の第一印象はそうであった。
博士は、あくびをしていた。なぜかと私が聞いた。
「いや、寝てましたので…」
「まぁ、本人は、特にすることもないですから」
みんなが博士を巡ってバタバタしている中、本当に寝ていたらしい。大抵の場合は寝ろと言われても寝れないのが通常なのであるが、博士の相変わらずののどかな芸風に少し苦笑して、すこし癒された。
さぁ、脱出である。
自動車は2台用意していた。両方とも弁護団のメンバーのである。1台は二人が博士の横に乗り込み、もう1台は私が運転して撮影をさせにくくする方針であった。
クルマで拘置所を出ようとする際には、マスコミの興奮も恐ろしい状態になっていた。
まず、私がクルマで出ようとしたとき、一人の突撃系カメラマンが、私の車の前に倒れ込んでカメラをパシャパシャしてきた。
「残念、このクルマには乗ってませーん。」
クラクションを鳴らしながら。私は言った。一人しかいない車内なのに大きな声を出す自分でビックリした。2台目のクルマが通る際にはフラッシュやら、ライトやらがすごい状況だったが、後部座席にはスモークが張っているし、隣には弁護団のメンバーが座っているので写真は撮りにくい。
なんとかマスコミを振り切って、私はクルマを大阪に走らせた。京都にいると、ホテルがばれると突撃系ジャーナリストが出てくるかも知れないからである。
大阪についたら12時ころである。久々のシャバである、良い朝食を食べさせてあげようと、最低限の連絡を終えたあと、ちょっと奮発したホテルを押さえてホテルに連れて行った。
その後、私は、つかの間の勝利の美酒を味わった。
私にとって、捜査弁護で一番辛かったのは、酒を飲めないことであった。
睡眠時間3時間だと飲んだら起きたときもアルコールが残っているような気分なので飲めなかったのである。私は一人で乾杯するとともに、これから続く長い戦いを思い描いていた