あたーにーあっとろーとは?

  • Winny制作者金子勇氏
    こと博士の素顔があまりにも面白いので、弁護人である私の目から、事件を振り返ってつれづれなるままに書きつづってみる、壇弁護士の事務室のスピンアウトブログです。

2009年10月10日 (土)

博士のごちそう

博士は、よく

「私は保守的ですから」

と言う。

ソフトウェアを作って刑事被告人になった者の発言として聞けばギャグとしか思えないが、こと食事の好みに関しては、博士はとても保守的である。

「現地人の食べるもの何でも食べるべし」がモットーの私とは大きく異なるところである。

博士のご飯3原則は、①辛くない、②熱くない、③食べにくくないである。

博士のお嫁さんになる人は、「おでん」と「肉じゃが」を交互に作ればOKかもしれない。

 

博士は、食べるのが面倒ということで、焼き魚はあまりお好きではない。

一度、打ち合わせの後の食事をした際に、旬ということで秋刀魚を頼んだことがある。

そのとき、博士は

「これいらない」

と言い出した。

「どうしてですか?」

「食べ方がわからない」

秋刀魚の食べ方にわかるもわからないも無いだろうよ?

とも思ったが、私は、正しい食べ方を教えることにした。

まず、秋刀魚の頭を外した。

次に、秋刀魚のしっぽを外した。

そして、頭としっぽのない秋刀魚に骨ごとガジガジと食らいついた。

そして、博士に言った。

「男は、骨ごと食う!」

その後、二人の食後の皿には、秋刀魚の頭としっぽだけが残されていた。

 

ところで、博士は、お酒は飲めない。この点アルコール燃料で動く私とは大きく違うところである。

その分と言っては何だが、博士は甘いものが大好きである。甘ければなんでもOKの様子で、食べにくそうなケーキでも嬉々として食べている。博士のご飯三原則の例外である。いや、甘い者はご飯じゃないのか。

博士の甘味への耽美はプログラム以上かもしれない。ほとんど昆虫である。だから「カナブン」とまで呼ばれているのである。

博士の甘いものを食べる際の無邪気な姿は、女性の母性本能をくすぐりまくりのようである。

 

うらやましい。

 

さて、事の経緯は後々のタイトルで紹介するが、博士と私が参加しているドリームボート社の人を含め4人でイタリアンで食事をした際の事である。

食事も終わりデザート(ドルチェ)を持って店員がきた。

私は、もの欲しげな博士に、「要りますか?」と聞いたところ、大喜びである。

それを見ていた二人も、博士に「どうぞどうぞ」ということになった。

ということで、自分のも含め合計4人分のデザートを平らげた。

30歳をゆうに超えたおっさんが、

「甘いものは別腹でしょう!」

と言いながら。

 

さて、話は変わるが、ドリームボート創立2周年記念ということで、東京の屋形船でお祝いしたことがあった。

2周年記念を祝うケーキは博士が大好きなイチゴと生クリームのケーキである。

宴は、結婚式でもないのにケーキカットをしたり、もう悪のりである。

飲み過ぎて記憶をなくすもの、

男同士でキスするもの、

調子に乗って下ネタしかしゃべらなくなってしまったもの

(実は、これらは一人なのだが)。

 

宴もたけなわを迎えたところ、私は、ふと博士がいなくなったのに気づいた。博士の席においてあった箸もない。

 

博士は、他の席に行ったのか?

 

いや、いない。

 

船の中だけに気分でも悪くなったのか?

 

そんな様子も無かったけど…。

 

私は、船を見回した。

 

すると

 

 

そこには、箸を持って、端っこのテーブルにあるイチゴケーキを一人でむしゃむしゃ食べている博士がいた。

「箸ケーキ最高!」

と言いながら。

2009年10月 6日 (火)

ブログとメディアと

公判準備を進めていく中で問題になったのは、弁護側の情報をいかに正しく伝えて行くかである。

マスコミの報道は、警察のリークを嬉々として掲載しているものや、なんちゃってIT評論家の知ったような話しばかりである。

消費者事件などではホームページを作成したりすることもある。今回はネットを通じての支援が大きかったのであるから、支援者のためにHPを作るべきなのだろう。

しかし、私はとても面倒くさがりである。

どうしたらいいのやらと思って町村先生のブログを眺めていた。

町村先生は捜査時に弁護側の情報の広報でブログを使わせてもらっていた。

それを見ながらつぶやいた。

「仕方ない。自分でブログをつくるか…」

「壇弁護士の事務室」なんて名前はその場の思いつきである。とりあえず、作りながら考えれば良いかと思ってたら、ブログを公開したとたん結構なアクセス数が来た。

正直、こんなに注目されているとは思わなかったので焦った。

読者もいろいろである。コメント者もいろいろである。

中でも、現役検察官が博士を非難するコメントをしてきたのは驚いた。

私は、弁護人として応対しているのである。この人は検察庁を賭けて対峙していないではないか。

私は、そう感じた。

正直、怒りも感じた。ただ、その後、本人から謝罪の手紙を受けたのでそれ以上は言うべきではない。

 

その後、公判も数回を重ねた後、博士から

「こんなんあったんですけど」と一通の封筒を渡された。

NHK京都支局の記者からの手紙が入っていた。(一部抜粋、個人名にかかる部分は一部変更)

 金子さま、突然お手紙で失礼します。NHK京都放送局の記者です。

 私は、NHKの記者として現在京都で司法の分野を担当しています。…

…結論から申しまして、公判の途中ですが、近々にNHKのインタビューに応じていただけないでしょうか。趣旨は初公判の後の会見で、私が質問した内容と全く同じです。インタビューにでていただき、金子さんの考えている「将来の著作権のあり方」について思う存分語っていただきたいと思うのです。…

 …現に裁判では、弁護側がいわば的外れな見解を繰り返している間に、検察側は着々と犯罪事実の立証に足る、最低限の条件をクリアしていっています。検察側と弁護側の争点が食い違っていますが、検察側が争点を弁護側に合わせようとしないことからも明らかです。検察側としては弁護側と争点がかみ合わなくても、むしろかみ合わず反論がない方が立証が容易だと考えているからに他なりません。…

・神は保身に走った…

 … 裁判は残念ながら、弁護団が躍起になって、金子さんの耳にタコができるほど吹き込んでいるような結果にはならないでしょう。「悪あがき」をすればするほどあなたの評価は下がる一方です。そして、あなたの描いた世界もきません。あるいは、その世界の到来まで我々は随分またなければなりません。ネットユーザの中には、47氏が著作権のあり方を変えてくれると期待していた人が多くいたはずです。保身のために、主張を覆す。それが、果たして「神」と呼ばれた人物のやるべきことでしょうか。…

…NHKのインタビューに応じて、その行動にいたった動機を正直に話せば、世間の納得は得られるはずです。仮に有罪判決になってもインタビューに出て世間に本音をさらしたことで執行猶予がつくのは間違いありません。逆に無罪を主張し続ける限り、減刑の余地はなく、実刑になる可能性も否定できません。その点から考えれば、インタビューに応じることはかえって金子さんにとって有益であると言えると思います。…

 …最後に度重なる無礼をお許し下さい。お返事お待ちしています

まぁ、要するに、弁護団の弁護は間違いだ、おまえは有罪だ、無罪の主張を続ければ実刑になる可能性もある。でもインタビューに応じれば執行猶予は間違いないということである。

天下のNHKがこれほど露骨な弁護妨害をしてくるとは思わなかった。

「神」がどうたらで、博士をマッドサイエンティストにしたがる者は今でも多数いるが、これでは、デスノートの「魅上」並の狂気ではないか。

しかも、この記者は、地裁判決後の記者会見で、何食わぬ顔で最前列に構えていた。

Winny事件の法廷の裏では、こんな戦いもあったのである。

ただ、このような手紙があっても、博士が信頼してくれていることがうれしかった。

 

 

時間限定 追記

アターニーアットローは、直訳すると「法律の代理人」です。

この事件や金子さんを弁護人である私の目から伝えるのが目的です。

この記事は特定のメディアを糾弾することが目的ではありません。

当時のメディアの論調は、おおむね警察報道を鵜呑みにして、金子氏をマッドサイエンティストにしたてあげようとするものでした。

この記事は、そのような逆境の中で弁護活動をしてきたことを紹介する趣旨です。

特定のメディアや記者を糾弾するよりも、「大変でしたね」とねぎらってもらえると幸いです。

そして、過去の報道に問題があったのであれば、将来の報道で挽回してください。

それが私の願いです。

そして、皆さんのしらないWinny事件や博士の素顔。アターニーアットローはまだまだ続きます。よろしくご支援下さい。

戦略のお時間

博士の保釈が決まってから、私は、再度訴訟戦略を検討することになった。

いろんな人から意見を聞いてみた。たしかにいろんなアイデアはあった。

しかし、団長の意見を含め、妥当なプランはほぼ皆無であった。実現不可能な案をいくら考えても意味がない。現在のリソースで実現可能な戦略を打ち立てないといけない。

また、2ちゃんねるに、弁護理論についてのスレッドがあるということでメールをくれた人もいた。しかし、あまり参考にならなかった。

当たり前である。前代未聞の事件だからこそ、自分で道をきりひらかなければならないのである。

 

私は、覚悟を決めた。

 

検察官は、これまでの報道から見て、技術、開発意図を戦場に設定してくることを予想していた。

証拠の開示も無い時期ではどんな立証をしてくるかわからない。起訴状を見ても正直何を問題視しているのかわからない状況であった。

技術については、世間では匿名性が問題としたり顔で述べるITコンサルタントなんてのがいたりするが、そんな証言があるのだろうかとか、それともスーパー技術者なんて連れてきてWinnyの解析なんて語るのだろうか。

意図については、2ちゃんねるで著作権侵害を奨励したと報道されていたりして、そんな書き込みをしたのかなんて、私に問いあわせてくるマスコミがいたりした。しかし、私は開発スレッドのすべてを確認していない。すくなくとも当時「著作権侵害をしろ」なんて書き込みはなかった。検察官は何をもって意図を立証するのであろうか。

 

ただ、検察官の積極立証をつぶしたとしても、

「幇助とはなにか?」

という問題が残る。幇助というのは、これまであまり議論されていなかった分野である。何をもって幇助かなんて考えたこともない。裁判所が、「ちょっとでも関係していればなんでもかんでも幇助」なんて言えば、本件はデッドエンドである。その不合理性を大前提として打ち出さないといけない。

とりあえず、ファイル共有や幇助に関する、日本や海外の判例や学説の調査を積極的に始めていくことにした。

 

ただ、どんな戦略をとっても戦術を遂行することができなければ負ける。法廷での戦闘力が必要である。

そんなとき、刑事弁護で知る人ぞ知る秋田弁護士が弁護団に加入してくれることになった。本物の刑事弁護のノウハウは、なんちゃって刑事弁護人程度の私にとって非常に貴重であった。原審で検察官の主張が退けられたのは主任の功績だったりする。

 

そして、弁護団にはもう一つ重要なマスコミ対策という戦略が必要であった。

正直なところ、司法記者クラブは当時お巡りさんべったりである。発言の一部だけを抜き出して一方的な記事を記載されるのは勘弁である。そこで、私は、IT雑誌の取材に絞ることにした。(もちろん、「悪用厳禁」なんて言っていた一部の雑誌は受けてないが)

効果はかなりあった。当たり前のことを説明する必要がない。それらの雑誌が表にでることで、一般誌がちゃんとした取材をするようにもなった。

 

そうやって、9月の初公判に準備を進めていった。

2009年6月 1日 (月)

博士とメカ

博士は、メカが大好きである。

特にPDAが大好きなようで、「予約したんですよ」と、新しいPDAを出しては、子供のような顔をしている。

無邪気に使い勝手を説明してくれる博士に、私はいつも言う。

「領収書は?」

あるとき、私と博士が歩いていると、博士はGPSレシーバをおもむろに取り出した。ポケットに入らないくらいのデカさである。重そうである。

「いやーこれくらいの大きさないと感度が悪いんですよねぇ。これは、居場所がばっちり分かりますよ」。

博士は無邪気な笑顔でGPSレシーバを見せてくれた。

樹海もなにもない、恵比寿駅ちかくで…。

博士は、電動アシスト自転車も大好きなようである。博士曰く「いやーやっぱり楽ですよ」とのことである。

博士は、カメラもこだわりがあるようである。博士は、カメラをもって、川沿いの風景を撮影したりするらしい。

博士には、オタクの象徴とは思えないような健康的な趣味もおありのようである。

博士のシャッターチャンスのお伴は、もちろん、電気自転車である。バッテリー切れは大丈夫なのだろうか?

博士曰くそれも大丈夫のようである。

博士は、電動自転車の自転車本体を現地に停めて、電動自転車のバッテリーを外して、電車で自宅に持って帰り、エレベータの無いマンションの階段を上り、自宅で充電して、またバッテリーを抱えて電車に乗って持って行くとのことである。

博士、それなら、普通の自転車でいいと思うのですが…

2009年1月17日 (土)

月曜日に高裁の初公判が始まる。

回顧録ではないが…

この事件で、名誉が欲しいわけでも金が欲しいわけでもない。

私は、ただ、無罪が欲しい。それだけである。

2008年2月15日 (金)

一夜あけて

博士は、いつも黒いお弁当箱のようなパソコンを持ち歩いている。

私は、10年来のレッツラー(パナソニックのLet's noteシリーズを愛している人)なので、このあたりは意見が合わない。

博士は赤いポッチがお好きなようである。パソコンだけなのはチト心配だが。

 

そんな博士も保釈直後はパソコンが無い。全部差し押さえられてたんだからあたりまえか。

ということで、珍しくパソコンはおろか携帯電話もない丸腰の状況で博士はホテルに宿泊した。

博士には、翌日の12時にホテルのフロント前で待ち合わせることで約束して私は帰った。

待ち合わせが12時になったのは、疲れているであろうから、朝はゆっくりして朝食でものんびりとらせてあげようという配慮と、不動産の決済に立会いが入っていた(保釈が6月1日に認められることを前提にスケジュールを組んでいたのが、強気な私らしい。)ので昼からしか都合がつかなかったことからである。

前日の祝杯ですこし疲れ気味のまま、不動産決済は進み、予定よりも少し長引いた。私がホテルについたのは10分ほど遅れてのことである。

フロントを見渡すと、みな身なりのきっちりした人ばかりである。博士が見あたらない。吹き抜けになっている2階から1階を見渡した。喫茶店にもいない。

「もしかして保釈取消しで身柄を持って行かれたのか?」

「ジャーナリストの突撃をくらったか?」

「どこかに逃亡したのか?」…博士だけにそれはありえん。

「まだホテルで寝てるか?」

いろいろな心配が、頭のなかを駆けめぐった。嫌な汗がでてきた。喉が急に乾いてきた。

フロントに博士がどうなっているか尋ねた。博士はすでにチェックアウトした様子である。

「まだ、遠くには行ってないはず」

私は2階からタクシー乗り場に出て、不審な自動車がいないか確認した。特になにも見あたらない。

「もしかして、待ち合わせ場所を間違えたのか?」

事務所に電話をして、博士が事務所に来ていないか確認してみた。来ていない。事務所の場所が分かるわけがないので当たり前である。

1階に降りて探してみた。いない。

ホテルを出て周辺のベンチを探してみた。ここにもいない。

このあたりで私の心臓からドキドキという鼓動が聞こえてきた。

かくなる上は聞き込みしかない。私は、喫茶店の1階のウエイトレスに尋ねた。

「髪の毛ボサボサでボロな鞄をもった人を見ませんでしたか?」

私の聞き方もたいがいである。こんな聞き方では、秋葉原では多すぎて答えようがないが、ここは高級ホテルである。ウエイトレスはすぐに答えた。

「たぶんあの人だと思います。あちらに座ってますよ。」

私は、ウエイトレスに導かれて奥に行った。そこにいたのは、

見つかりにくい奥まったところで、川を愛でながらコーヒーを飲んでいる博士であった。

…そんなところで風流なことをしててどうするんだ!

私、「なんで、ちゃんとフロントで待たないんですか。」

博士「いやーすることも無くて暇だったし。」

私「だったら、見つけやすいところにいてください。」

博士「そういやそうですね。ハハハ!」

博士はのんきそうに笑った。

それから、博士と私は一緒に昼食をすることにした。警察では生魚は食べれなかったということで、ちょっと贅沢に寿司屋である。しかし、大衆的なお店にしか行く勇気がないところが博士と私である。

「いやー、久々の外の世界なんで、何食っても美味いですねぇ。ハハハ」

博士はご機嫌である。そんな博士を見て、私もそれ以上言うことを止めることにした。

その日は、事務所に立ち寄って、寄付金の残りを引継ぎして、事務連絡と、保釈の説明をして、最後に元気な姿を支援者のみんなに見せるために記念撮影をして、博士は東京に帰って行った。

Hosyakukinen_3   

これが記念写真で左が博士、後ろが桂団長なのだが、私の目が微妙に怖いのは、こんなことがあったからなのかもしれない。

2008年2月10日 (日)

支援金口座

時期は先後するが。

天才プログラマの新井俊一氏から電話があったのは、5月11日の事だった。

新井氏は、これまで弁護士に電話をしたことがなかったのであろうか、自分と博士とのつながりについて、IPAの未踏ソフトウェア時代から順番に話しを始めた。

あまりに遠回りな話に少しイライラした私が、「弁護人です。間違いない」と話をすると、ホッとしたように、ようやく本論に入ってくれた。

2ちゃんねるでは、47氏の弁護費用を寄付するスレッドが開設されていて、そこで寄付口座を作ることになり、新井氏が寄付金の口座を開設したが、寄付する人が安心して寄付できるように、弁護団の弁護士の名前で口座を開設して欲しいということであった。

博士は、2ちゃんねるでは、「47氏」と呼ばれていたらしい。

2ちゃんねるでは、最初に書き込みをした番号をペンネームのように使うことが習慣として行われていて、Winnyの開発を宣言したのが47番目の書き込みなので、博士は47氏なのである。

ただ、私自身は、この名前は四十七士と勘違いして、忠臣蔵よろしく博士に切腹させたがる輩を誘発するのであんまり気に入っていない。

 

私は、そのとき、シャチハタ男になっていた博士の対策で頭を悩ましていたので、それどころでは無かった。

しかし、来るべき保釈申請時に問題になるのは保釈金である。そのためには少しでも保釈金を用意する必要がある。

ようやく口座を開設するに至ったのは5月13日のことである。とにもかくにも、口座を作った以上報告をしなくてはならない。私は5月14日に銀行に記帳に行ってみた。

「ウィーン、ウィーン、ウィーン、ウィーン」

通帳はATMからいつまでたっても出てこない。もしかして、ATMを壊してしまったかもしれないと焦り始めたころ、ようやく記帳が終わった。

結局、5月14日の1日だけで、105名から合計123万円の支援金が振り込まれていたのである。

振込名義も

「カネコオウエン」

「47シガンバレ」

等の励ましの文言が多かった。

「博士の無罪は本当に多くの人の願いなんだ。」

私は、これを見てようやく、私が弁護しなくてはならないものの大切さを理解した。

他にも、2ちゃんねる発で、金子氏支援のためにTシャツを販売して収益を寄付してもらえるという活動もあった。これにも頭が下がる思いである。

 

私は、これまで、2ちゃんねるというものに対して偏見を持っていた。

正直なところ、2ちゃんねるの利用者は烏合の衆だと思っていたし、そこまでの義侠心があるとは思っていなかった。

しかし、マスコミが司法記者クラブという枠の中にとらわれ警察発表の記載に終始している状況で、2ちゃんねるは自ら意見を述べ、活動する場としても使われているのである。

彼らは2ちゃんねらーという異次元の世界の人ではなく、この社会のどこかにいる生身の人間なのである。

そのときそう感じた。

結局支援金は、1ヶ月弱の間で合計1600万円にものぼった。

私は、保釈申請の際の裁判官との面談時には、裁判官に対して

「逃亡の恐れというのであれば、すぐにでも、1年間、京都のホテルをかりるてくることも出来る。彼は逃げる必要などない!」

なんて強気の発言をしていたのであるが、それは皆さんの支援のおかげだったりする。

私は、事件が大変なときはいつも、10冊の通帳を手にとって眺める。そうやって、多くの人から励ましを受けているのである。

この事件の本当の依頼者は彼らなのかもしれない。

ちなみに、博士と2ちゃんねるは、またの機会に。

2007年3月31日 (土)

博士の一分

とりあえず、「長い1日」の結果、博士の保釈は決定した。

保釈の日、博士を乗せて我々は、とりあえず、弁護団の一員の事務所に行って、関係者に保釈が出たことを知らせた。

保釈には、面談禁止の条件があるので、博士が姉に直接連絡をすることもできない。そういうこともあって、博士が連絡できるところと、そうでないところに分けて、分担して報告とお礼をしたのである。

そして、生活について、再度博士に注意を促すことにした。

面談禁止があること、証拠隠滅と言われるような行為をしないこと、勝手に旅行に行かないこと、常に連絡とれるように携帯電話を持っておくこと等々…。

博士は、

「はぁ」

と答えていた。

弁護団としては、博士に再度の捜索差押えがなされることをもっとも心配していた。そこで、弁護団の一員が金子氏に「しばらくはパソコンを使わないように」と言ったとき、博士は答えた。

「やだ!」

「PCできないくらいなら、拘置所に戻ったほうがまし!」

「拘置所ならちゃんと三食出るし。」

我々は、博士の刑務所で年越しする人みたいな発言に苦笑であった。

でも、博士にプログラムをするなということは、死ねと言っているのと同じなのだろうと、妙に納得である。

Winnyというソフトウェアは、博士の性格を引き写ししている。

このときが、そうおもった最初のことである。

2007年2月10日 (土)

長い1日

博士の起訴が決まってまずしたことは保釈の申し立てである

日本では保釈は検察官が起訴した後にしか認められないからである。

この事件で、博士が拘置所にいれば勝利はありえないことは分かっていた。

しかし、日本は保釈率が異常に低い。無罪を主張していたらまず保釈はでない。

映画もびっくりな異常な世界が日本の刑事司法の常識だったりするのである。

 

保釈前の裁判官と面談が保釈成功のための正念場であった。

裁判官は得てして優秀な人が多いのであるが、面談に対応した裁判官は特に切れ者の雰囲気であった。

一番困るのは、何となくよく分からないから検察官の言うようにという裁判官である。

絶望的な状況ではあったが、彼ならというかすかな期待があった。

翌日、500万円というこの手の事案では高い保釈金と一部の者の面談禁止を条件に保釈を認める決定が出た。

裁判官としてもギリギリであったのだろう。よく保釈を認めたと今でも思う。

しかし、世の中そんなに甘くない。すかさず保釈の取り消しを求めて、検察官から準抗告・執行停止の申し立てがなされたのである。

長い長い1日の始まりである。

 

裁判所からは公判があるらしく準抗告はすぐに判断できないという連絡が入った。

書記官からはもしかして追加の保釈金を求めるかも知れないのでとか言ってくるのであわてて銀行に行ってお金をおろしたり、

さすがに引き出しすぎだろと少し戻したり、

その間に検察からは拘置所に移管したという連絡が入ったり、

マスコミから取材希望の電話がかかってくるので断ったり、

マスコミから拘置所に移したかどうかを確認してきたりするので知らないと言ってみたり、

夜も遅くなったので、その日のうちに準抗告が棄却されたらその日のうちに釈放するように検察に交渉したり、

その間にパソコンを開いてカタカタ他の仕事をしてみたり。

結局、準抗告が認められず保釈が決まったのは夜の10時前であった。

 

裁判所から京都の拘置所までクルマで少し行く必要がある。拘置所に着いたら、マスコミだらけであった。この手の報道は顔を写したがるのが必須である。

私は、疲れている博士の顔を写させないことにしていた。なぜなら、疲れた顔は誰でも犯罪者のように見えるからである。

逮捕直後のダサいベストの格好は最悪であった。

同じことになってはいけない。しかも、保釈の際の写真は場合によれば何度も使われる。撮られるならば元気になったところで撮影されることを考えていたのである。

拘置所では、ライトの担当者がこちらを照らしてくる。

「こりゃやっとれんわ」

と、拘置所の職員さんに御願いして、ガレージの中でクルマに乗せることにした。クルマに乗る際が最大のシャッターチャンスだからである。

ガレージにクルマを入れると分かった瞬間怒号が飛んできた。

「何で撮らせねぇんだ」

見ると明らかにその手の週刊誌の突撃系カメラマンである。

「お前さんが撮るからだろうが。」

と私はつぶやいた。ケンカや説得をする気力もない。私も長い準抗告に憔悴しきっていたのである。

そうしているうちに、

「どうも」

といつもの調子でガレージに博士が現れた。チェックのシャツを着て鞄を持っていた。

「オタクシャツや」

私の第一印象はそうであった。

博士は、あくびをしていた。なぜかと私が聞いた。

「いや、寝てましたので…」

「まぁ、本人は、特にすることもないですから」

みんなが博士を巡ってバタバタしている中である。大抵の場合は寝ろと言われても寝れないのが通常なのであるが、博士は、本当に寝ていたらしい。

博士の相変わらずののどかな芸風に少し苦笑して、すこし癒された。

さぁ、脱出である。

 

自動車は2台用意していた。両方とも弁護団のメンバーのである。

1台は二人が博士の横に乗り込み、もう1台は私が運転して前を走ることになっていた。

もちろん、博士を撮影をさせにくくするためである。

クルマで拘置所を出ようとする際には、マスコミの興奮も恐ろしい状態になっていた。

まず、私がクルマで出ようとしたとき、一人の突撃系カメラマンが、私の車の前に倒れ込んでカメラをパシャパシャしてきた。フラッシュがまぶしい。

「残念、このクルマには乗ってませーん。」

クラクションを鳴らしながら。私は言った。

一人しかいない車内なのに大きな声を出す自分でビックリした。

2台目のクルマが通る際にはフラッシュやら、ライトやらがすごい状況だったが、後部座席にはスモークが張っているし、隣には弁護団のメンバーが座っているので写真は撮りにくい。

なんとかマスコミを振り切って、私はクルマを大阪に走らせた。京都にいると、ホテルがばれると突撃系ジャーナリストが出てくるかも知れないからである。

 

大阪についたら12時ころである。久々のシャバである、良い朝食を食べさせてあげようと、最低限の連絡を終えたあと、ちょっと奮発したホテルを押さえてホテルに連れて行った。

その後、私は、つかの間の勝利の美酒を味わった。

私にとって、捜査弁護で一番辛かったのは、酒を飲めないことであった。

睡眠時間3時間だと飲んだら起きたときもアルコールが残っているような気分なので飲めなかったのである。

私は一人で乾杯するとともに、これから続く長い戦いを思い描いていた

2007年1月 1日 (月)

ファーストインパクト

実は、検察官との交渉状況を書こうとおもっていた。

ある意味ドラマのようなやりとりがあったのだが、本当にあったことをそのまんま書いたら、フィクションって言っても許してくれないだろうし、検察官から「捜査の秘密を侵した」とか、よく分からない苦情が飛んで来たらめんどくさいので飛ばしておく。

いつか、許される形で世に出してみたいものである。

«そこに山があるから