あたーにーあっとろーとは?

  • Winny制作者金子勇氏
    こと博士の素顔があまりにも面白いので、弁護人である私の目から、事件を振り返ってつれづれなるままに書きつづってみる、壇弁護士の事務室のスピンアウトブログです。

アターニーアットロー

 

この物語を今は亡き友に捧ぐ。

2015年12月19日 (土)

あとがき

この話を書き始めた2006年は、Winnyのネットワークを利用した情報漏えい系のウイルスが流行っていた時期でした。

当時、博士こと金子さんに対するメディアの扱いは酷く、まるで、マッドサイエンチストのような扱いでした。

しかし、実際の金子さんは、悪しき意図とは無縁の、純朴で、世間知らずな人物でした。

私の目の前にいる金子さんをみんなに知ってもらいたい。

本当は、被告人にそんな感情移入するのは、刑事弁護のプロフェッショナルとしては、冷静さを欠いて失格かもしれません。

でも、金子さんといると、そんなことがどうでも良いと思えてきたのです。

そういう想いからアターニアットローを書き始めたのですが、文章力ないわ、遅筆だわ、仕事忙しいわで、そんなこんなしている間に、事件が終わってしまって、金子さんの人生まで終わってしまって、当初の目的はどこにいったのやら状態になりました。

Winny事件の最高裁決定がでて、金子さんの無罪が確定した日から、今日でちょうど4年です。

Winny事件は、最高裁の裁判例集や判例六法に載ったりしましたが、Winny事件を知ってはいるけども金子さんを知らないという学生も出てきているようです。

私が、ちんたらしていた間に、Winnyは、昔話になりつつあるようです。

この物語が、金子さんという人を知り、また、思い出す切っ掛けになれば幸いです。

最期まで書き終えることが出来たのは、ただただ、みんなのご声援のおかげです。この場を借りてお礼申し上げます。

ありがとうございました。

 

 

最後に、私からも

ネットワーク社会の未来が明るいものであることを祈ります。

2015年12月19日

壇 俊光

別れの手紙

金子さん元気ですか。

死んじゃってるので、元気なわけないだろというのは十分わかってます。

ホントはおじいさんになって、京都府警の悪口で盛り上がったついでに伝えようと思っていたんですが、それはかなわないので、今、こんな手紙を書いています。

 

Winny事件の後も、IT関連の刑事弁護はいろいろあって、なんだかんだで、闘ってます。

あれ以降、京都府警の中には私を知っている人もいたりして、ガサのときにお巡りさんに威嚇されたりして、少し迷惑な状況になっていたりします。それでも、事件の経験は意外に役立っています。

ただ、他の事件を経験している中で、Winny事件って違ってたんだなと感じることもあります。

それは、信じる力です。

ネットワーク社会の将来への信頼。自分の中の正義への信頼。

そして、弁護士4年目の経験不足な私に対する信頼。

ネットで叩かれても、NHKから変な手紙をもらっても、地裁で有罪になっても、まったく揺らぐことのなかった金子さんの信じる力。

それがあったから、私は無我夢中で闘えたんだと、今更ながら思います。


あれから、Winny事件で、なぜ勝てたんだろうかって、ときどき考えるようになりました。

いろいろ考えるんですが、いつも結論は、金子さんが、プログラム馬鹿だったからじゃないか?というところに行き着きます。

中島敦の「悟浄歎異」って小説があるんですが、読んだことありますか?

金子さんは、その中で出てくる三蔵法師ってことです。

ただし、あんな人格者じゃないですよ。

で、私が、孫悟空だったのかというと、それも違います。

あんな、大それたもんではないです。

私は、所詮、欠陥人間とか言われてきた程度の存在です。

ただ、金子さんが、プログラム馬鹿だから、何も出来ない人だからこそ、金子さんへの想いが、私にあの一瞬だけの特別な力を与えてくれたんじゃないかなと。


私は金子さんみたいなイノベーターでは無いみたいです。

ただ、そういう人の為に闘って、そういう人の為に心を遣って生きていくことはできるかなと思うようになりました。

あの事件を通じて知った

事件に対する真摯な姿勢。

燃え尽きる程の充実感。

そして、人の人生が変わった瞬間の喜び。

私は、未だ、これに勝るものを知りません。

私は、金子さんのために闘うことで、自分の凡庸な人生を、特別な価値あるものに出来たんだと思っています。

 

私は、これからも

Attorney at Law

であるよう努力し続けるつもりです。

いつの日かまた会う日まで。

 

ありったけの情熱をこめて。

 

 

最期の真実

最高裁が確定してから、博士との連絡はめっきり減った。

私も博士もめんどくさがりのオッサンだし、いつまでも、弁護人がいろいろと口を出すべきではないと思っていたからである。

その後、博士は、東京大学で再び働けるようになった。

ただ、その話を博士から聞いたのではなかったというのは、ちょっと酷い話である。

 

2012年の年末には、弁護団の忘年会が開かれた。

しかし、博士は日程が合わず参加することができなかった。博士に十分に確認しなかった私の責任である。

でも、そのときは大したことと思っていなかった。

結局、さかのぼる2012年6月14日のInteropでのセッションが、博士と会った最後の機会となった。

博士との最期の会話は全く覚えていない。 

でも、そのときは大したことと思っていなかった。

 

博士が死ぬなんて思ってもいなかったから。。。。

 

2013年7月3日

大阪で普通に仕事をしていたときに、博士が危篤という連絡が入ってきた。

私は、思わず、金子さんのお父さんですか?と聞いた。

そんなわけ無いじゃないですか。お父さんは2年前に亡くなってますよ。

そりゃそうだ。

しかし、私は博士の危篤を信じられなかった。

私は、とにかく全ての仕事をストップして、新幹線に飛び乗って病院に駆けつけた。

夜も遅くなった病院で会ったのは、多くの機器に囲まれて、大量の点滴がつながれた博士であった。

博士はもう絶対に元に戻らない。認めざるを得ない現実が私の頭を殴りつけるように襲ってきた。

私は、すこしの間東京に滞在した。博士の死を受け入れる作業であった。

2013年7月6日

私が大阪に戻った翌日の夕方、博士のお姉さんから訃報を聞いた。

 

私の語る博士の話はこれで終わりである。

 

博士は、残りの人生を、これから日本で生まれてくる技術者の為に使って欲しいという私との約束を守ったことになる。

人は死ぬ。しかし、プログラムは死なない。博士が遺したプログラムは今日もどこかで動いている。

博士が勝ち取った正義は、この日本にとって大切な意味があったと思う。

 

ただ、10年という月日を裁判に費やした博士が、研究者として過ごすことが出来たのは半年であった。

たったの半年。

もし、刑事事件がなければ、P2Pが彩る世界は違うものになっていたかもしれない。

もし、あのとき嘘をついて罪を認めてしまえば、博士は刑事事件で費やした時間を好きなプログラム開発に充てれたかもしれない。

私は、博士に無辜の技術者としての最期を与えることができたという自分への慰めと、博士から人生の重要な時間を刑事事件で奪ってしまったことへの慙愧の念の入り交じった複雑な思いで、揺れ動いている。

今日も。

2015年11月21日 (土)

伝説が終わり、歴史が始まる。

2009年10月21日

検察が上告したニュースが入ってきた。

ちょうど、高裁判決の前に公開した記事がニュースになって、デスクが謝罪に来たりで慌ただしい状況が一段落ついたころであった。

予想していたことであったので、特に感想はなかった。

私は、ブログに書いた。

最後の闘いが始まった。

恐れも焦りもない。

私は、もう一度全てを懸けて戦い、もう一度無罪を勝ち取る。

それだけである。

 

ただ、彼がプログラマとして輝ける時間を、さらに無駄にすることだけが残念である…

 

勝負は、己の慢心で足下をすくわれるか否かだけであった。

検察から全文116ページの上告趣意書が提出されたのは、2010年3月23日である。

検察は、上告趣意書で、誰か1人でも悪いことをするかもしれないと認識していれば幇助犯が成立するという主張を始めた。

検察官が幇助の理論を明らかにしたのは、これが初めてである。

これまでとは違うボリュームと、恥も外聞も無い主張に、なにがなんでも博士を罪に陥れようという組織のメンツと狂気を感じた。

負けてはいられない。

弁護側は、検察の上告理由に反論するべく、2010年6月30日に100ページを超える答弁書を出した。

それから、1年半の間、最高裁からはなんの音沙汰もなかった。

その間、時代はmixiからtwitterやFaceBookへと移行していた。

そして、

 

2011年12月20日の午後

東京行きの新幹線の中で、パソコンを開いたところ、ツイッターにWinny事件上告棄却のツイートが飛び込んできた。

私におめでとうというツイートもあった。

しかし。。。。。

なんで、私がしらんのじゃい!

 

中には、私が何もツイートしないことを不審がるツイートもあった。

でも、そんなことを私に言われても困る。。。

思わず、FaceBookに「探さないでください」と書いた。

すぐに「無理でしょう」というコメントが来た。

やっぱり?

 

そのころ、司法記者クラブから、記者会見を開いて欲しいという連絡があった。

め、めんどくさい。

しかし、この事件の最後に無罪を知らない人に無罪を知ってもらい、博士の名誉を幾ばくでも回復することは重要である。

博士に予定を確認したところ都合がつくということだったので、急遽、午後9時から東京で記者会見することにした。

マスコミ用の弁護団声明文や博士のコメントを用意し、記者クラブや会社の広報担当と電話連絡し…新幹線の中ではほとんど立ちっぱなしであった。

指定席の意味ねぇ。。。。

 

結局、午後9時前、司法記者クラブの前に集合したのは、博士、会社の広報担当、私、たまたま東京にいた団長(ほろ酔い)であった。

博士は相変わらず言葉のセレクションが下手なので、記者会見前の打ち合わせにどれだけ時間を取れるかが重要である。

控え室で、うち合わせを始めようとする、慌ただしい状況を無視して、団長がなぜか連れてきた知人と記念撮影を始めようとする。

遊びに来たのなら出ていけ!

私の怒鳴り声が記者会見会場となりの控え室で響く。
 

それでも記者会見は無罪確定でニコニコである。
記者会見は、テレビやニコ生で放送された。

インターネットウォッチ

ニコ生

博士は、髪ぼさぼさで、栃木なまり全開である。

結局、超フリーダムな記者会見になった。

結局、個別取材を終えたのは日付も変わろうとするときであった。 

そうして、Winny事件は終わった。

 

後日、弁護団で祝勝会を開いた。

普段、お酒を飲まない博士も、少しだけワインを飲んで、顔がまっかっかであった。

http://danblog.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2012/01/09/syukusyoukai.jpg

まさに勝利の美酒であった。

 

最高裁決定の内容を確認したのは、記者会見から暫くたってからである。

無罪になったのは、例外的で無い程度の著作権侵害について故意がないという多数意見の理由である。

一般的にはクビをかしげそうな理論であるが、最高裁も博士のような人物を有罪にしてはいけないと思う程には常識的だったのであろう。反対意見を書いた1人を除いて。

結局、博士は、弁護人が優秀だからではなく、博士が法を超越したプログラム馬鹿だから無罪になったようである。

ただ、最高裁の理論を見る限り、Winnyの開発継続が罪になることは確実である。

こうして、Winnyは過去のソフトウェアになった。

 
その後、博士には僅かばかりの刑事補償がなされた。
しかし、彼が失った日々に見合うものではなかった。

 

警察や検察から、人の人生の最良の時間を奪ったことに対して、謝罪の一言も無かった。

京都府警は、今も狂気な逮捕をくり返している。

著作権侵害蔓延目的という自白調書を騙し取ろうとしていたのが、最高裁の基準に従って、例外的で無い程度の違法な利用を認識認容していたという自白調書を騙し取ろうとするようになっただけである。

裁判所から違法な取調をしたと指摘されたK警部補は、違法もなんのそので、出世したようである。反省どころか、博士は悪い奴であると吹聴していたという話を伝え聞いた。

検察や京都地裁も相変わらず、警察の追認機関状態である。

そんなことをしている間に、

P2Pの開発は日本でまったくされなくなった。

コンテンツ配信の世界は、itunesやYoutubeに席捲された。


結局、7年半を費やした博士に残されたのは、プログラマとしてのほんの小さな名誉だけであった。

2015年11月 4日 (水)

逆転の刻

高裁の判決は、2009年10月8日午前10時からだった。

前の日から、台風18号が通過して昨日は土砂降りの雨であったが、入場行進(裁判所に行く姿を撮影するあれである)するときには、ほとんど止んでいた。

私は、博士に話しかけた。

台風が止んだということは、今日は無罪ですよ。

博士は、私の突然の強気発言に驚いたようである。

えぇ!そういうもんですかぁ。

そういうもんです。

といいながら、私のカバンの中には、有罪判決の場合に出す上告状が入っていたりして、ホントは少し弱気だったりする。

 

判決前の廷内撮影(ニュースで流す動画を撮影する奴である)が終わって、小倉正三裁判長は、博士を証言台の前に呼んで判決を宣告した。

主文 原判決を破棄する。被告人は無罪。

それはドラマのようなタメなどなく、あまりにもさらっとした一言であった。

傍聴席がざわついた。司法記者が大急ぎで出ていった。

私は、何が起こったのかすぐには理解出来なかった。

まず、なぜか判決を書き留めねばと考えて、ペンを握りしめた。しかし、なぜか、手が震えて字が書けない。

主任が机の一番端の遠くから身を乗り出して手を伸ばしてきた。

団長が握手に応じている。

主任曰く、そこは団長ちゃう、ダン君やろ!

主任は、勝利を祝って私と握手をしたかったらしい。

私はようやく無罪を理解した。

そして、メンバーと一通りの握手を交わした私は、ソファーに戻って来た博士にも右手を差し出した。

博士は、すこし面倒くさそうに、そして恥ずかしそうに、私の右手を握り返した。

 

小倉裁判長は、すこしはしゃぎ気味の弁護団を横目に判決の理由を述べ始めた。

技術開発へ配慮した意欲的な判決理由であった。

K警部補らの博士に対する最初の取調は違法であるとして、調書を証拠排除していた。

私は、判決を聞いている間にいろんなことが走馬燈のように頭の中を駆け巡ってきた。

判決を述べる姿を見ていると、地裁判決の氷室裁判官の姿が思い出された。

あのときは辛かったよなぁ。

でも、良かったな。

多分、今なら死んでも悔いは無いな。

なんて考えていたら、涙が溢れてきた。

やばい。バレたら後で、他のメンバーに冷やかされる!

私は、とっさに、汗を拭くフリして涙をぬぐった。

たいそうなことを考えているわりには小心者である。

 

でも、泣いたっていいじゃん。

すごいことなんだよ。

自分の信じるもののために情熱を注ぐことができるってことは・・・。

 

 

裁判所から出ると、台風一過の真っ青な空が私たちを待っていた。

 

ただ、勝利の余韻を味わうどころではない。

記者会見やら、支援者の報告会やらで大忙しであった。

記者会見では、旗出しに使う予定の「無罪」を博士が広げて撮影である。

実は、旗出しは、法廷に入れなかった支持者に判決の内容をすぐに伝えるためなのである。今回は、台風の影響で傍聴人が全員法廷に入れてしまったので、旗出しを中止したのである。

無罪を語る博士の笑顔が印象的であった。

(これは、共同通信社の記事に掲載されている画像への直リン)

無罪

支援者への報告会で、私達は、この弁護団の最初のメンバーであり、最大の功労者である亡き武久秀浩弁護士に黙祷を捧げた。

 

無罪判決はどこかで速報があったらしい。

とある会社では、ワンフロアー全部で歓声が沸き起こったらしい。

私の携帯は判決の間から勝利を祝うメールでバイブレーションが止まらない状況であった。

銀河英雄伝説の英雄になぞらえて「ダン・ウェンリー」という称賛が多かったのは変な感じではあったが、そのときはとても心地よかった。

注 ヤン・ウェンリー

「無罪」の旗は、博士が嬉しげに持って帰っていった。

そして、私は、ブログで判決の報告をした。


台風は止んだ。

雨は上がった。

勝った。

初めて判決で涙が流れた。

と。

2015年11月 2日 (月)

高裁弁論

2009年7月16日は、高裁の弁論が開かれた。

高裁で証拠調べしたので、その結果を踏まえて、検察側、弁護側でプレゼンを行ったのである。

検察の主張は、Winnyで著作権侵害した正犯は、博士の描いたシナリオに乗せられたにすぎない等精一杯のハイボールであある。

正直、何とかの1つ覚えであるが、そんなことはどうでもよかった。
既に、検察は眼中になかった。

闘う相手は、地裁判決だったのである。

検察側の次は、弁護側の弁論である。

事前に、私は、弁護側弁論に与えられた1時間を全部自分に欲しいと他のメンバーにお願いしていた。

最後に悔いの残らないようにしたかったのである。

私は、1時間の中で、パワーポイントを使って、海外の判決を紹介しながら、Winnyが黎明期の技術であり、技術のプラスの側面に目を向けるべきであるということや、法律論や技術論、正犯の立証の問題点などを精一杯述べた。

弁論を終えたとき、すべてやり終えたという変な満足感が自分の中に沸いてきた。

ただ、その中で述べた、

開発者もWinnyの現実の利用状況を認識していない。

という何気ない一言が、この事件の最後の最後で重要な意味を持つとは、そのときは全く考えてなかった。

判決期日が、2009年10月8日と指定され、高裁の審理は終えた。

その後、判決までの間、やたらと判決の予想を聞いてくる人が多かったのは閉口した。

注目を浴びている事件だったのでやむを得なかったのであるが、逆転無罪の可能性は何パーセントとか聞かれても答えようがない。

この事件は私の事件である。私が有罪と思っているわけがない。

正直するべきことは全てした。それでも有罪判決がでるときはでるのがこの世界である。

でも、記者はそんなことお構いなしである。

私に近しい人で、普段から事件の話を聞いている者まで、

でも、手応えとかわかるやろ?どうなん?

的な話をしてくる状況だったのである。

そんな中、私は、ブログにこんなことを書いた。

私は、金子氏の無罪を信じて闘ってきた。

できることはすべてしたつもりである。

人は最初それは誤っていると言い、次にそれは無理だと言い、そしてそれは誰でもできたという。

しかし、何かを成し遂げるのは実際に何かをした者だけである。

私は評論家でも予想屋でもない。

 

弁護士である。

そう思っている。

私の弁護士としての矜持であった。

そして、判決の日を迎えた。

高裁尋問後編

高裁尋問の後半は弁護側証人である。

弁護側証人は、木村和人氏から始まった。
もちろん担当は私である。

木村氏の証言は、地裁で否定された検察官の「Winnyが専ら著作権侵害のための技術である」アピールに対して、技術の有用性を示すのが目的であった。

 

「インプレスからP2P教科書という本が出版されてますね。」
「はい。」

 

「あなたはWinnyとSkeedCastの章で本を書かれますね。」
「はい。」

 

「Winnyの技術というのは価値の無いものなんでしょうか。」
「価値のあるものです。ネットワークが稼働していたというのは大きな価値だとおもいます。

「Winnyは、P2P技術として特筆する長所はあるのですか。」
「負荷分散という意味もありますし、耐障害性が高いということも言われています。 いざ何かあったときに、エンジニアを待機させておいて、駆けつけてトラブル解決するということをしなきゃいけないんですが、Winnyのような技術を使えば、そういった運用体制等々を簡単にすることができ、その分コストがさげられます。」

 

「実稼働ネットワークというのは重要でしょうか。」
「100とかで稼働するネットワークと数万という規模で参加するネットワークはやはり全然違ってきます。実際に数巡万規模で稼働したということは、学術的にも価値のあることだと思います。」

 

「ファイル共有という観点からですが、現在行われているサービスファイル共有はありますか。」
「Youtubeやニコニコ動画があります。」

 

「これらでは、著作権侵害の可能性のあるファイルはありますか。」
「はい。」

 

「逆に有意義に使えるというのはありますか。」
「テレビ局が自分達の番組をアップロードしたり、政党が主張を動画にして皆さんに見ていただくということもあります。」

 

「Winnyがコンテンツ流通の発展に関して役割を果たしたといえることはありますか。 」
「Winnyの利用者へのアンケートの結果見逃した番組を見れるからというのが非常に多かった。当時はそういう番組を提供するビジネスはなかったが、Winnyのユーザーがそういう発言をするおとにより、ニースがあるんだという、マーケティング的な要素がそこで発掘されたんじゃないでしょうか。」

 

「Winnyというのが開発が続けば、権利者の同意を得たコンテンツというのが流通していく可能性というのはあるとおもっていましたか。」
「はい。」

YoutubeもiTunesも何も無かった逮捕直後ではできなかった尋問である。その間に、日本のビジネスが席巻されてしまったのは残念ではあるが。

私は続けた。

 

「木村さんが取締役をされておられる会社のSceedCastですが、Winnyの技術をベースにしているコンテンツ配信システムですよね。なにかよかったことはありますか。」
「完成度の高いソフトウェアをベースにしたので、非常に短期間で開発出来ました。SkeedCastでは、著作権侵害は起こりませんし、情報漏えいもおこりません。 」

 

「検察官ですが、Winnyというのは、専ら著作権侵害のための技術であるという主張をされているんですよ。妥当な主張と思いますか。」

検察「異義があります。意見を求める尋問です。」
裁判所「異義を認めます。質問を変えてください。」

 

 

検察官は、自分の主張と直接関わるとこでは、すかさず妨害に出てくる。

こちらも、その程度で引くわけにはいかない。質問方法を変えながら、証言を続ける。

 

「専ら著作権侵害のための機能というのはWinnyにあると思いますか。」
「特に思い当たりません。 」

 

「研究仲間など責任ある相手方に対してのみソフトを配布するべきという意見があると思いますが、そういう実験方法で有意義な実験はできると思いますか。」

 

「異義があります。立証趣旨から完全にズレています。 もう少し具体的に聞いてください。」
検察官の異義も執拗になってくる。

 

「仲間内の公開だけで技術的検証ができたという話を聞いたことありますか。」
「いいえ」

 

「Winnyは著作権侵害に対する防止の努力をしていないとおもいますか。」
「無視機能があったと思います。もう一つは警告機能と呼ばれているものです。」

 

「匿名というのは、違法を助長する技術なんでしょうか。」
「いえ、セキュリティ上必要な技術と認識されていると思います。」

 

最後に、私は、前半でのKの証言に係る部分について聞き始めた。

「IPアドレスというのは、一般的なユーザの場合、動的にかわることはあるんですか。」
検察「異義、この証人の立証趣旨から完全に外れた尋問になってます。時間はオーバーしています。」
裁判所「異義を認めます。」

「では、立証趣旨の追加を請求します。」
検察「全く必要性が無いとおもいます。」
裁判所「立証趣旨の拡張を棄却します。」

正直、この部分の質問は、弁護団の中に「IPアドレス」という言葉をやたら説明したがるメンバーがいたので、最後に尋問事項に追加しただけのことである。ここで尋問を制限されても特に痛手ではない。

それでも、弁護側に厳しい訴訟指揮に少し閉口して、尋問を終えた。

 

続く、検察官の反対尋問は、あっけなく終わった。

 

次は、田中先生である。
もちろん担当は私である。

「Winnyに関して何らかのご研究をされたということをお伺いしたのですが。 」
「ファイル名やファイルサイズからどのようなファイルが流れているかの実体をしらべた研究です。 その結果、市販に出回っている音楽のCDやDVDそのままのコピーのものは約3割にとどまるというのが大きな発見でした。 」

 

「このようなサンプリング調査無しに現実の利用状況は判断できるんですか。」
「できないと思います。」

 

「ACCSの平成16年ファイル共有調査のアンケートの手法は妥当ですか。」
「人は自分の記憶で答えますので、それ以外のものが抜け落ちます。」

 

私は、事前に用意したスライドを示した。

Tanaka1

1つは、ACCSのアンケート調査で、例として示されていたタイトル名である。その他はWinnyで実際に流れているファイルのファイル名を少しだけ加工したものである。

知人に試してみたこともある。記憶に残っているものと聞くと、全員が「ハウルの動く城」だけ答えたのである。では、Winnyで流通しているファイルの100%はハウルの動く城なのか?それは違う。

京都地裁の裁判官にはまったく理解出来ていなかったようであるが、ACCSの調査手法は、基本的なところで重大な過ちを犯していたのである。

私は、続けた。

「Winnyに関して著作権侵害による被害が100億円という証言がされたと思いますが、妥当と思えますか。」
「損害額に関して小売価格か平均価格をかけて計算する方法は妥当ではありません。コンテンツというのは人気がだんだん下がってくるわけです。ある一定時点になりますと、もうほとんど売れなくなります。それにも関わらず、当初の小売価格を掛けている点で過大な推定です。もう一つは、コピーがなくなったとしても、小売価格で 購入することは無い人がいます。 真の損害といえるのは、正規品の売上げが減った分です。」

 

「Winnyが著作権者に損害を与えているかどうかという研究はましたか。」
「Winnyによって正規品の売上げが減るという効果はありませんでした。むしろすこし増えることすらありました。Winnyに宣伝効果があったのだとおもいます。」

 

私はスライドを示した。

「本件のコンテンツビジネスに当たる影響についてどう思われますか。」
「著作権法は、創作者の利益と利用者の利益をバランスさせる法律だと思っています。最適な保護水準がどこかというのはいま論争中です。これは将来、様々な試行錯誤の結果、いろいろな民事上の解決がなされていくというふうに思われます。刑法でこれを罰してしまうと言うのはどちらかと言えば乱暴な方法でありまして、可能性の芽を摘むという意味ではマイナスと思います。」

Tanaka

私は尋問を終えた。

検察側の尋問は、こんどは少し執拗であった。

「先生の意見を拝見すると、集めたサンプルが120万件ということでいいですか。」
「はい。」

 

「10台のパソコンをつかって、5人の人がパソコンの画面を目視して、カウントしたとうことですか。」
「そうです」 

「それでなんで全数調査と言えるんですか」
「集めたのは基本的に全数ですので」

 

「あなたは10台のパソコンにつながった情報だけをご覧になったんですよね。その10人のノードにつながってるファイルだけがみえるんじゃないですか。それは全数と言わないと思いますけど」
「じゃあ、全数という言葉を改めても結構です。それはしかし、全数と非常に高い相関性を持っている。全数を反映した数字になっているはずです。

 

なぜか、検察官は満足げであったが、あまり、意味のある尋問になっていない。そりゃそうだ。統計の専門家に統計で議論を吹っかけても仕方ない。

検察官は、どや顔で、田中先生が事前に作成した意見書を示した。
「この文章の下の方に、市販されている音楽CDや映画DVD、写真集、ソフトウェアなどの比率は4割程度でしかない。と描いているんですが、なんで今日は3割なんですか。」

実は、3割と4割の間だったので、3割と証言していたのであるが、今度は、証人を動揺させるのに成功したようである。

「4割ということで結構です」

 

検察官はさらに尋問を続けた。

「CMなんかも4割以外のところに入れてるんですよね。」
「入れてます。」

 

「CMも著作物でしょう」
「はい。著作物であろうかとはおもいます」

検察官はとても満足げである。 

検察官は、その後何点かの証言を経て、証人尋問は終わった。

弁護側としても当初の目標は達成しているのであるが、検察としても、毎度毎度弁護側の思うようにはさせなかったぞというところであろうか。

そして、高裁の証拠調べ手続きは終わり、残るは高裁の弁論と判決だけとなった。

2015年10月25日 (日)

高裁尋問前編

高裁の証人尋問は、2009年6月11日に行われた。

尋問でも、検察と弁護人はガチ勝負である。

検察側は、おなじみの京都府警のKと、今回の事件を裏で取り仕切っていた著作権団体ACCSの担当者Nを証人請求し、

弁護側は、経済学者の田中辰雄先生と、ネット企業IIJの木村和人さんを証人請求した。

そして、この4人の証人尋問の担当は全て私にした。

理由は二つあった。

1つは事務局長としての冷静な戦局判断である。

確かに、弁護団には、主任を含めスペシャルなメンバーがいる。

それでも、この局面で、勝利を最大限に追求した場合、この事件の全てを知る私が担当するのがベストと判断したのである。

もう1つは全ての責任を自分が負うべきだと思ったからである。

誰かに最後を委ねたとき、ダメだったとき、私は、その人のせいで負けたと思うかも知れない。そんなことは嫌だ。

この事件は私の事件である。負けるときもダンのせいである。

とはいえ、プレッシャーは凄かった。

夢でも尋問のシミュレーションを繰り返す日々を過ごし、当日を迎えた。

証人尋問は、Kからである。

Kの証言は正犯の関係である。

博士は、Winnyを使って著作権侵害行為をした人を幇助したということで起訴されていたのであるが、正犯とされる人を特定する際に判明したプロバイダのID・パスワー ドと、その後ガサ入れ・逮捕した際に正犯とされる者が使っていたパソコンに設定されていたID・パスワードが異なっていたのである。

とすると捕まえたのは別人の可能性があるのじゃないか?

ということになる。

そういう証拠の矛盾がある時点で、いろんな意味で大ちょんぼであるが、それだけでは終わらないのが、刑事事件のハンディキャップマッチである。

Kは、この事件の間に出世して警部になったようである。

「この資料は、正犯がWinnyで放流していたリストのファイルを京都府警がダウンロードして、それを印字したもの・・・」

「それは露骨な誘導尋問なので、控えていただけますか」

「誘導ではないと思います」

「ダウンロードしたかどうかというのは、証人の口から出ておりません。」

初っぱなから異義を巡って検察と弁護側で火花が散る。

Kは証言を続けた。

「私が発見して、部下に資料化するように命じたものです。」

「トリップをつけるために入力する文字列がありますね」

「はい。正犯が別名を名乗っていた際のうその生年月日でした」

「ところで、正犯は自分の名前でプロバイダの契約をしていましたか」

「いいえ」

「じゃあ、正犯じゃない人がWinnyを使って映画を放流したことはないんですかね」

「それは違います」

「どうしてですか」

「トリップが、正犯が別名を名乗っていたときの嘘の生年月日だからです。」

えらく大ざっぱであるがこんな感じで検察側の尋問が終わった。

次は弁護人の反対尋問である。
私は、少し大きく息を吸って、尋問を始めた。

「正犯の実行行為のダウンロードありますね。あなたは立ち会われてましたか」
「はい」

「実況見分調書を見ても、あなたのお名前は書かれていないんですけど」
「はい、おりました」
・・・おったら名前がないわけがないだろうに。ただ、今は細かいこと聞いても仕方が無い。私は続けた。

「正犯を取り調べたことありますか。」
「ありません」

「じゃあ、全部伝聞ということでいいですね」
「はい。」

「正犯ですが、同じトリップをつかった偽物が出てると供述していたことは聞いてますか」
「聞いておりません」

「検察官に対しても、偽物がでたということをおっしゃってるみたいなんです。それをあなたは聞いてますか」
「聞いてません」

「私が、生年月日の数字のみでトリップ名を作っていたので、他の者にまねされたのかもしれませんと、聞きましたか」
「聞いてません」

検察官の供述調書に書いていることので、Kが聞いてないはずがない。
どうやら、今回は、都合の悪いことは聞いてない作戦のようである。

「甲76号証に担当の警察官の調書で、私の偽物がWinny上にでてきて、いかにも私が放流しているように見せかけるものが出てきましたのでと書いているんですが、聞きましたか」
「聞いておりません。ただ、偽物がということは、自分が本物ということですよね」

Kは、すかさず、議論を吹っかけてくる。相変わらずの様である。
私は無視して続けた。

「正犯は、ポートの設定を変更したことはないとおっしゃってたのは聞きましたか」
「はい」

「報告書ですが、被疑者に対して接続したということなんですか。」
「そうです」

「必ず、BBSというのは、データを持っているノードに直接接続しに行くと?」
「必ずというわけではないんですけども、非常に高い確率で直接接続されにいく。」

「どういうときに直接で、どういうときに直接でないか、判断基準ありましたか」
「ないです。」

「では、直接つながっている根拠は」
「何度もやったということですね。」

「毎回毎回、これは直接だ、直接ではない、そういう判断はできないのでは?」
「毎回同じポートでIPアドレスも合致していました。」

「逆に言うと、IPアドレスとポートが合致しなければ、別のノードということですね」
「はい。」

「念のためにメモをしめします。これですが、別々のIPアドレスのノードから取得していますね。これは、直接つながってたわけですね」
「はい」

「直接つながるということは、別々の他のノードから取得できてはいけないということになりますね」
「はい」

「おかしいと思いませんでしたか」
「思わなかったですね。これは掲示板データを入れ替えたんだと判断しました」

「メモをしめします。これは、同時期に取得出来たということなんですか。」
「そうです」

「とすると、別のノードなんですかね」
「そうです」

「これは同時期に同時2台接続してしまったと」
「はい」

「本来であれば同じところから取得できるべきなのに、なぜか別の板があるはずのノードのほうから取得できてしまったと。」
「はい」

「Winny2BBSに中継が発生するかというのは、聞いたことありますか」
「ありません」

このあたり、技術を知らないとややこしいが、Kが直接と言っていたのが、Winnyの機能を十分理解していないだけであることが露呈したわけである。

「この報告書ですけど、IPアドレス、ポートを正確に記録しているんですか」
「はい」

「これを見てください。IPアドレス○○○○。ポート番号は××××ですね」
「はい」

「8月1日の1時の時点で割り当てられたIPアドレスは何番ですか。
「○△○○ですね」

「IPアドレスは合致していますか」
「時間帯はいつでしたか」
Kはやばいとおもったのか、こんどは、すっとぼけ出した。

「8月3日の○○○○のIPアドレスは合致しますか」
「ポート番号はどちらのほうでしたか」

「××××ですけど」
「ああ、××××であれば、合ってませんね。」
Kは、渋々認めた。
本当なら、これで致命傷なんだけど、これでも裁判所は理解出来ないだろうなぁ。。。
そんなことを思いながら私は続けた。

「もう一回、インターネット接続ログを見てください。ログインネームを見てください。このログインIDを使ったパソコンは見つかりましたか」
「見つかりました」

Kは、見てきたかのように証言した。
しかし、それはあり得ない。
その時点で、Kは、博士の家にガサに入って、ダウンロード専用Winnyで何もアップロードの失敗を繰り返していたのであるから。

「そういう証拠、報告書つくりましたか」
「はい」
「今回の法廷では、そういう証拠は一切出てないんですけど」
「検証調書があるはずですけどね」

そんな調書があったら法廷に出ていないわけがない。
今度こそ、裁判所にも、解ったであろう。
私は、反対尋問を終えた。

次は、ACCSの担当者Nである。
Nは、ACCSのまとめた「ファイル共有利用実態調査報告書」の内容を述べた。

ファイル共有利用実態調査報告書は、もともと、原審有罪の大きな根拠となったアンケート調査の結果92%が著作権侵害であったというあれである。

彼は、平成18年のアンケート調査の結果、著作権侵害が86.2%であったこととか、Winnyネットワークによる被害額が100億円であったとか、そういう独自の見解を述べた。

そして、最後に、なぜか、平成19年のクローリング調査では、著作権侵害の割合が50%以下であることを証言して主尋問を終えた。

しかし、クローリング調査とアンケート調査で著作権侵害の割合がこれだけ違うのは、92%を著作権侵害としていたアンケート調査の手法が、原判決で有罪とされた最大の根拠が、誤りであったことを自ら認めたのと変わらない。

わざわざ、なにしに来たんだこの人?

そう思った私は、尋問する事項を予定より減らした。

私は、クローリング調査では著作権侵害の割合が50%を切ること、100億の損害と言っているものも、ファイルの内容を確認したわけでは無く、損害額も小売価格を用いたものではないことを確認した。

この100億の損害という報告書は、現在販売されていない書籍についても、何ヶ月かの間で出版された書籍の平均価格を掛け合わせて、架空の損害額を作り出したものに過ぎなかったのである。

それだけ確認した私は、早々に反対尋問を終えた。

彼は、私の反対尋問がやさしかったと吹聴していたと、その後、風の噂で聞いた。

しかし、彼は自分の証言したことの意味を理解していなかったのであろう。

そうやって、前半戦を終えた。

2015年8月31日 (月)

カプセルマン第2話「カプセルマンあらわれず」

「Winnyが動くところを見たい」

高等裁判所が言いだしたのは、第1回公判期日が終わってすぐのことである。

正直、またかよ!である。ただし、大阪高裁は、京都地裁とは違って節度があった。弁護側にもプレゼンの機会を与えるということだったのである。

検察側のプレゼンは、2009年3月13日、懲りもせずコピーライトギルド総本山ことJASRACの京都支店で、Winnyの実演会である。

パソコンを操作するのはまたしても京都府警であった。しかし、栄転したK警部補ではなく、名前も聞いたことのないおまわりさんであった。

おまわりさんは、K警部補がやったように、弁護側に開示していないマニュアルにしたがって、各ボタンの説明をし、初期ノードの設定をし始めた。

そして、おまわりさんは、初期ノード集サイトから、一番上を登録して接続を試みた。

が!、異常に接続が早い。不審感を感じた私は、手順書とおり設定しなおしてもらった。すると案の状、接続が安定しない。どうも、あらかじめノードを仕込んでいた様子である。相変わらずの京都府警クオリティ。こちらも警戒心5割増しである。

次に、おまわりさんは、ポートの設定をして、ダウンロードをしようとしはじめた。

しかし、ダウンロードできない。彼は、ファイルをダウンロードしようとするのであるが、どのファイルも2MB程度ダウンロードした時点でダウンロードが切断されるのである。

当然理由は分かっている。

私と博士は、ひそひそ声で「ポート開いてないね」「そうですね。」と確認し合った。

Winnyには、接続しているノード同士が相互にデータを送受信できるかを確認するという仕様がある。データの受信しかできないノードがネットワークの中心にあればネットワーク全体の効率が低下するからである。

それを回避するには、ポート解放という設定をして、データの送受信が可能な状態にするか、ポート0と呼ばれるダウンロードが遅い設定にしなければならない。それもなしに、通常のダウンロードを試みても30秒でダウンロードが切断されるのである。

すこし、専門的な知識が必要な話であるが、要するに、京都府警とジャスラックは重大な設定ミスをしていたのである。

無修正動画で、高裁に悪印象を植え付けようとしていたおまわりさんは、ダウンロード切断祭りに大焦りである。むやみにダウンロードしようとしては、ダウンロード失敗を繰り返していた。

「その容量小さいのならダウンロード出来ますよ」

私は、あるファイルを指差した。それは、Winnyを悪用したウイルスAntinnyに感染したWinnyがアップしていた画像であった。

トレンドマイクロのHPから

トレンドマイクロから

それは、もちろん、動作確認にかこつけて著作権侵害を印象づけたい京都府警に対するイヤミである。

「それは、容量的に・・・ウイルスが・・・」

おまわりさんは動揺の色を隠そうともしない。彼は、私の提案を無視して、大容量のファイルのダウンロードを試み続けた。

「もうすぐ、30秒だから切れますねぇ。3、2、1、ハイ切れた。」

博士と私は、おまわりさんに聞こえるように言った。京都府警がここまでしょっぱいことをするとは思っていなかったので、半ば呆れ気味である。

その結果、私達は、Winnyを眺め続けた。

何もダウンロード出来ないWinnyを。

2時間程。

 その後、おまわりさんは、言い訳程度にBBS機能の説明をして終了した。

 

弁護側プレゼンは、2009年5月11日、裁判所の会議室で行われた。

会議室でパソコン5台を並べて仮想環境でWinnyの動作を確認したのである。

プレゼンの装置やシナリオは私が作ったのであるが、説明は主任弁護人である。

私がするよりも、主任の方がITを分からない者の気持ちから話できると判断したからである。

そんな気持ちを分かってかどうか、主任は、でっかい頭の指示棒を使ってノリノリである。

主任は、Winnyの検索ネットワーク、Winnyのダウンロード、Winnyでは混同されやすいが検索とダウンロードのネットワーク構成は全く別であること、キャッシュの位置づけ、同時ダウンロード、無視機能、そして、ポート問題を説明していった。

そして、主任は、警察が作った実況見分書記載の構成ではネットワークにつながらないこと、そして、タイムアウト切断し続けた本当の理由を、どや顔で説明した。

退屈そうな検察官とは対照的に、裁判官は結構興味深げであった。

2015年8月30日 (日)

死に至る病

この事件が始まってから、博士がプログラムを公開するときは、必ず弁護人のチェックを受けるという約束をしていた。

しかし、思いつきでプログラムをつくっては、ユーザーのリアクションを見て改良していく博士の創作スタイル的には、創作意欲を削ぎまくりだったようである。

博士は、有罪判決よりも、弁護人チェックが続くことが辛かったようである。

ある日、博士は、私に言った。

弁護士さんというのは、私が自由にプログラムできるようにするのが仕事じゃないんですか。
壇さんは、反対に、私がプログラムできないようにできないようにしている。
プログラムできないんだったら、死んでるのと一緒!

そのとき、私は、
申し訳ない。
とだけしか言えなかった。

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