あたーにーあっとろーとは?

  • Winny制作者金子勇氏
    こと博士の素顔があまりにも面白いので、弁護人である私の目から、事件を振り返ってつれづれなるままに書きつづってみる、壇弁護士の事務室のスピンアウトブログです。

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2006年9月18日 (月)

あの一言が全ての始まりであった。

「正犯を弁護する気はないけど、もし、開発者が逮捕されたら全力でやりますよ。」

何を食べていたかはもう覚えていないが、IT法の勉強会のあとの食事の際にふと漏らした弁護宣言が、長く続く弁護活動の始まりだったのである。

この発言が私が弁護の意欲を示しているかと言えば実はそうではない。

アメリカでは、Winnyと同じようなサーバを用いない純粋型 P2Pのファイル共有ソフトについて、2003年4月にアメリカ連邦地方裁判所が責任を否定する判決を下していたのである。

当時は、ファイルローグ中間判決を始め、当時、ファイル共有ソフトと著作権の問題について、日本でも民事の判決が出てきていたころであった。

日本の裁判所はこの手の事案については、アメリカの判決を参考にすることが多い。

というわけで、純粋型P2Pであれば責任を負わないであろうという風潮があった。

まして、民事事件であればともかく、刑事事件となることはありえないと思っていた。

というわけで、私は、逮捕はありえんだろうという予測の元に大口叩いていただけなのである。

私は、Winnyというファイル共有ソフトがあることは、某事件の関係で知っていた。

プロキシ機能を備えたファイル共有ソフトという説明を聞いていた。

クラスタ化も自動ダウンロードもこれからのスタンダードになるだろうと思っていた。

要するに、私としては、Winnyはコロンブスの卵みたいなソフトだと理解していた。

また、当時、DRMを付けてたデジタルコンテンツを、ファイル共有ソフトで流通させるビジネス化への新しい試みが始まりつつあった。

私は、それを見て、

「日本もまだまだ捨てたもんじゃないな。」

なんて評論家みたいな気楽なことを言っていたのである。

 

そんな甘い気持ちは2004年5月10日にぶっ飛んでしまった。

当時、私は、サイバー法の勉強会のメンバーと本の執筆を終えたところであった。

ゴールデンウィークを返上して執筆して、あとはゲラ稿をチェックして索引をつけて完成のはずだった(ちなみに、それから進んでいない。この場を借りて改めてお詫びします。)。そして、5月17日にはyahooBB!個人情報漏洩事件の訴状を提出して、休日返上生活から解放されたら遅ればせながらのお休みをもらおうなんて考えていた。

そんなところに、博士が逮捕されたというニュースが飛び込んできたのである。

すかさず、知り合いの弁護士から連絡があった。

「壇君、開発者が捕まったら弁護するって言ってたよね。」

そうだった…。サイバー法の世界は狭いのを忘れていた。

大阪でサイバー法を志す人は大抵が顔見知りである。そんなところで弁護宣言をしたらどうなるか予想すべきであった。

と言うわけで、引っ込みもつかないまま、一日3時間睡眠の捜査弁護に突入していったのである。

こうやって、始まった事件であるが、今では大変な目にあったと思うのが半分、やりがいのある事件に出会えて感謝の思いが半分である。

博士は、

「ある意味、今回の件は、警察に捕まったらどうなるかという実験ですね。おかげで法律の専門家の人とかビジネスのプロとかに出会えたし。」

と曰われた。

そんな危険な実験は、勘弁してほしい…。

2006年9月 7日 (木)

あのとき男の子はみんなプログラマだった。

私は、1971年生まれで、博士が1970年生まれだから、両方とも1970年代に育ったことになる。

今では、

「小太りブラザース」

なんて称している博士と私であるが、昔は子供だったのである。あたりまえか。

小太りブラザースが、小学校のときに、突然世の中にマイコンなるものが出現したような気がする。

画面でいろんな画像が動いている姿は衝撃的であった。今では子供だましのようなゲームがとてつもないものに感じていた。

当時の子供は、みんな、PCにご執心である。

PCを使いたい。でも、子供なのでパソコンは買えない、電気屋で打ち込む。

プログラムが解らないので本屋で「ゲームセンター嵐のベーシック入門」を立ち読みして、一生懸命暗記して、電気屋に駆け込む。

しかし、そういうときには得てして先約がいてPCが使えない。悔しいので、後ろで何を作っているのか見物する。

運良くPCが空いたときには暗記が一部出来てないので、その部分はウンウン考えてなんとか動くものを作る。

みんな、そうやって、プログラムのスキルを養っていたのである。

そんな子供も、PCがなんだかんだでワープロとかよりも遅いということで電気屋さんのディスプレイから無くなり、また、中学生になってクラブ活動に目覚めたり、また、中学生デビューをしたりなどして、だんだんPCから遠のいていくことになる。

再びPCが店頭に並ぶのは、MS-DOSの出現を待つことになるが、それは別のお話である。

そんな時代に、私も博士も育った。

ただ、違ったのは、みんながパソコンから遠のいているあいだも、博士はパソコン小僧を続けていたことである。

この手の話をすると博士も弁護団も同年代が中心なのでとても盛り上がる。

弁護団会議の後で食事をしていると「ペケロッパー」(「X68000」シリーズパソコンのユーザの意)等という単語が飛び交ったりする。

そんな弁護団を団長は「オタク弁護団」だという。でも、楽しいのだから仕方ない。

そんな時の博士を見ていると、とても楽しそうである。博士は、心の底から、コンピュータが好きなんだろう。

Winnyの技術について理解が一つ増えるたびに、博士のそういうパソコン好きがWinnyの設計に良く出ているという気が深まる。

博士は、

「Winnyは私にとっての表現」

とよく言う。それはよくわかる気がする。

でも、博士、Winnyで女の子は口説けませんぜ!

2006年9月 6日 (水)

少し目を細めてみる。

こんな記事があった。

事実経緯云々は、事務室でやるとして、

『裁判については、「優秀な弁護団の方々にお会いできたことは良かった。最終弁論の内容も非常に正確なものだった」』

とか、

「今回の京都で終わっていただければ助かると言えば助かるが、どこまででも戦います」

とか、

洒落たことを記者会見でアドリブで話し出来るようにまでなっているのである。あの博士がである。

弁護人の私としては、この2年間は無駄では無かったのだと妙な感慨を受けた。初公判のときとは別人の話っぷりである。

博士は、意外に話好きである。サービス精神も旺盛である。

この事件で関西にくることが多くなったので、関西のネタ的な会話を気に入ったようで、ときどき自分でもネタをぶちかますようになった。

ある日、

街でパトカーを見て、「あ、乗り慣れた車が停まっている!懐かしい!」

と曰われた。

博士のネタは、ブラック過ぎて笑えないことが多い。

そんな金子博士は、このブログについて「どうせ、私のことをネタにするんでしょ」と言っていた。

えぇ、それが私の仕事ですから…。

2006年9月 1日 (金)

アターニーアットロー

 

この物語を今は亡き友に捧ぐ。

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