あたーにーあっとろーとは?

  • Winny制作者金子勇氏
    こと博士の素顔があまりにも面白いので、弁護人である私の目から、事件を振り返ってつれづれなるままに書きつづってみる、壇弁護士の事務室のスピンアウトブログです。

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2006年9月 7日 (木)

あのとき男の子はみんなプログラマだった。

私は、1971年生まれで、博士が1970年生まれだから、両方とも1970年代に育ったことになる。

今では、

「小太りブラザース」

なんて称している博士と私であるが、昔は子供だったのである。あたりまえか。

小太りブラザースが、小学校のときに、突然世の中にマイコンなるものが出現したような気がする。

画面でいろんな画像が動いている姿は衝撃的であった。今では子供だましのようなゲームがとてつもないものに感じていた。

当時の子供は、みんな、PCにご執心である。

PCを使いたい。でも、子供なのでパソコンは買えない、電気屋で打ち込む。

プログラムが解らないので本屋で「ゲームセンター嵐のベーシック入門」を立ち読みして、一生懸命暗記して、電気屋に駆け込む。

しかし、そういうときには得てして先約がいてPCが使えない。悔しいので、後ろで何を作っているのか見物する。

運良くPCが空いたときには暗記が一部出来てないので、その部分はウンウン考えてなんとか動くものを作る。

みんな、そうやって、プログラムのスキルを養っていたのである。

そんな子供も、PCがなんだかんだでワープロとかよりも遅いということで電気屋さんのディスプレイから無くなり、また、中学生になってクラブ活動に目覚めたり、また、中学生デビューをしたりなどして、だんだんPCから遠のいていくことになる。

再びPCが店頭に並ぶのは、MS-DOSの出現を待つことになるが、それは別のお話である。

そんな時代に、私も博士も育った。

ただ、違ったのは、みんながパソコンから遠のいているあいだも、博士はパソコン小僧を続けていたことである。

この手の話をすると博士も弁護団も同年代が中心なのでとても盛り上がる。

弁護団会議の後で食事をしていると「ペケロッパー」(「X68000」シリーズパソコンのユーザの意)等という単語が飛び交ったりする。

そんな弁護団を団長は「オタク弁護団」だという。でも、楽しいのだから仕方ない。

そんな時の博士を見ていると、とても楽しそうである。博士は、心の底から、コンピュータが好きなんだろう。

Winnyの技術について理解が一つ増えるたびに、博士のそういうパソコン好きがWinnyの設計に良く出ているという気が深まる。

博士は、

「Winnyは私にとっての表現」

とよく言う。それはよくわかる気がする。

でも、博士、Winnyで女の子は口説けませんぜ!

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