あたーにーあっとろーとは?

  • Winny制作者金子勇氏
    こと博士の素顔があまりにも面白いので、弁護人である私の目から、事件を振り返ってつれづれなるままに書きつづってみる、壇弁護士の事務室のスピンアウトブログです。

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2008年2月15日 (金)

一夜あけて

博士は、いつも黒いお弁当箱のようなパソコンを持ち歩いている。

私は、10年来のレッツラー(パナソニックのLet's noteシリーズを愛している人)なので、このあたりは意見が合わない。

博士は赤いポッチがお好きなようである。パソコンだけなのはチト心配だが。

 

そんな博士も保釈直後はパソコンが無い。全部差し押さえられてたんだからあたりまえか。

ということで、珍しくパソコンはおろか携帯電話もない丸腰の状況で博士はホテルに宿泊した。

博士には、翌日の12時にホテルのフロント前で待ち合わせることで約束して私は帰った。

待ち合わせが12時になったのは、疲れているであろうから、朝はゆっくりして朝食でものんびりとらせてあげようという配慮と、不動産の決済に立会いが入っていた(保釈が6月1日に認められることを前提にスケジュールを組んでいたのが、強気な私らしい。)ので昼からしか都合がつかなかったことからである。

前日の祝杯ですこし疲れ気味のまま、不動産決済は進み、予定よりも少し長引いた。

私がホテルについたのは10分ほど遅れてのことである。

フロントを見渡すと、みな身なりのきっちりした人ばかりである。

博士が見あたらない。

吹き抜けになっている2階から1階を見渡した。

喫茶店にもいない。

「もしかして保釈取消しで身柄を持って行かれたのか?」

「ジャーナリストの突撃をくらったか?」

「どこかに逃亡したのか?」…博士だけにそれはありえん。

「まだホテルで寝てるか?」

いろいろな心配が、頭のなかを駆けめぐった。

嫌な汗がでてきた。喉が急に乾いてきた。

フロントに博士がどうなっているか尋ねた。博士はすでにチェックアウトした様子である。

「まだ、遠くには行ってないはず」

私は2階からタクシー乗り場に出て、不審な自動車がいないか確認した。特になにも見あたらない。

「もしかして、待ち合わせ場所を間違えたのか?」

事務所に電話をして、博士が事務所に来ていないか確認してみた。来ていない。

事務所の場所が分かるわけがないので当たり前である。

1階に降りて探してみた。

いない。

ホテルを出て周辺のベンチを探してみた。

ここにもいない。

このあたりで私の心臓からドキドキという鼓動が聞こえてきた。

かくなる上は聞き込みしかない。私は、喫茶店の1階のウエイトレスに尋ねた。

「髪の毛ボサボサでボロな鞄をもった人を見ませんでしたか?」

私の聞き方もたいがいである。こんな聞き方では、秋葉原では多すぎて答えようがないが、ここは高級ホテルである。ウエイトレスはすぐに答えた。

「たぶんあの人だと思います。あちらに座ってますよ。」

私は、ウエイトレスに導かれて奥に行った。

そこにいたのは、

見つかりにくい奥まったところで、川を愛でながらコーヒーを飲んでいる博士であった。

…そんなところで風流なことをしててどうするんだ!

「なんで、ちゃんとフロントで待たないんですか。」

 

「いやーすることも無くて暇だったし。」

 

「だったら、見つけやすいところにいてください。」

 

「そういやそうですね。ハハハ!」

博士はのんきそうに笑った。

それから、博士と私は一緒に昼食をすることにした。

警察では生魚は食べれなかったということで、ちょっと贅沢に寿司屋である。

しかし、大衆的なお店にしか行く勇気がないところが博士と私である。

「いやー、久々の外の世界なんで、何食っても美味いですねぇ。ハハハ」

博士はご機嫌である。

そんな博士を見て、説教心満タンの私もそれ以上言うことを止めることにした。

その日は、事務所に立ち寄って、寄付金の残りを引継ぎして、事務連絡と、保釈の説明をして、最後に元気な姿を支援者のみんなに見せるために記念撮影をして終わりである。

博士は、元気に東京に帰って行った。

Hosyakukinen_3   

これが記念写真で左が博士、後ろが桂団長なのだが、私の目が微妙に怖いのは、こんなことがあったからなのかもしれない。

2008年2月10日 (日)

支援金口座

時期は先後するが。

天才プログラマ

の新井俊一氏から電話があったのは、5月11日の事だった。

新井氏は、これまで弁護士に電話をしたことがなかったのであろうか、自分と博士とのつながりについて、IPAの未踏ソフトウェア時代から順番に話しを始めた。

あまりに遠回りな話に少しイライラした私が、

「弁護人です。間違いない」

と話をすると、ホッとしたように、ようやく本論に入ってくれた。

2ちゃんねるでは、47氏の弁護費用を寄付するスレッドが開設されていて、そこで寄付口座を作ることになり、新井氏が寄付金の口座を開設したが、寄付する人が安心して寄付できるように、弁護団の弁護士の名前で口座を開設して欲しいということであった。

博士は、2ちゃんねるでは、

「47氏」

と呼ばれていたらしい。

2ちゃんねるでは、最初に書き込みをした番号をペンネームのように使うことが習慣として行われていて、Winnyの開発を宣言したのが47番目の書き込みなので、博士は47氏なのである。

ただ、私は、47氏は四十七士と勘違いして、忠臣蔵よろしく博士に切腹させたがる輩を誘発するのであんまり気に入っていない。

 

私は、そのとき、シャチハタ男になっていた博士の対策で頭を悩ましていたので、それどころでは無かった。

しかし、来るべき保釈申請時に問題になるのは保釈金である。

そのためには少しでも保釈金を用意する必要がある。

ようやく口座を開設するに至ったのは平成16年5月13日のことである。

とにもかくにも、口座を作った以上報告をしなくてはならない。

私は5月14日に銀行に記帳に行ってみた。

「ウィーン、ウィーン、ウィーン、ウィーン」

通帳はATMからいつまでたっても出てこない。もしかして、ATMを壊してしまったかもしれないと焦り始めたころ、ようやく記帳が終わった。

結局、5月14日の1日だけで、105名から合計123万円の支援金が振り込まれていたのである。

振込名義も

「カネコオウエン」

「47シガンバレ」

等の励ましの文言が多かった。

「博士の無罪は本当に多くの人の願いなんだ。」

私は、これを見てようやく、私が弁護しなくてはならないものの大切さを理解した。

他にも、2ちゃんねる発で、金子氏支援のためにTシャツを販売して収益を寄付してもらえるという活動もあった。これにも頭が下がる思いである。

 

私は、これまで、2ちゃんねるというものに対して偏見を持っていた。

正直なところ、2ちゃんねるの利用者は烏合の衆だと思っていたし、そこまでの義侠心があるとは思っていなかった。

しかし、マスコミが司法記者クラブという枠の中にとらわれ警察発表の記載に終始している状況で、2ちゃんねるは自ら意見を述べ、活動する場としても使われているのである。

彼らは2ちゃんねらーという異次元の世界の人ではなく、この社会のどこかにいる生身の人間なのである。

そのときそう感じた。

結局支援金は、1ヶ月弱の間で合計1600万円にものぼった。

私は、保釈申請の際の裁判官との面談時には、裁判官に対して

「逃亡の恐れというのであれば、すぐにでも、1年間、京都のホテルをかりるてくることも出来る。彼は逃げる必要などない!」

なんて強気の発言をしていたのであるが、それは皆さんの支援のおかげだったりする。

私は、事件が大変なときはいつも、10冊の通帳を手にとって眺める。そうやって、多くの人から励ましを受けているのである。

この事件の本当の依頼者は彼らなのかもしれない。

ちなみに、博士と2ちゃんねるは、またの機会に。

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