あたーにーあっとろーとは?

  • Winny制作者金子勇氏
    こと博士の素顔があまりにも面白いので、弁護人である私の目から、事件を振り返ってつれづれなるままに書きつづってみる、壇弁護士の事務室のスピンアウトブログです。

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2015年7月12日 (日)

地裁判決

地裁判決は、2006年12月13日午前10時に京都地裁であった。

当日、多くの人が傍聴券を求めて並んでいた。

刑事判決は最初の一言で有罪か無罪かわかる。「被告人は」となると無罪で「被告人を」となると有罪なのである。

その日の氷室裁判長は「被告人を」であった。

被告人を罰金150万円に処する。

傍聴席がざわついた。司法記者クラブの記者が判決結果を伝えるために席を立って慌ただしく立ち去っていった。

裁判長は、主文に続いて、判決の理由を述べ始めた。

つまらない内容であった。

ただ、被告人の主観的態様の項になったとき、裁判長は、

「被告人が著作物の違法コピーをインターネット上にまん延させようと積極的に意図していたとする部分については,その供述に信用性は認められない。」

と言った。

これは、検察官が有罪の中核に据えていた事実を裁判所が否定したことを意味する。

それではなぜ有罪なのか?それは、弁護人も検察も主張していない基準と事実認定によるものであった。

これではまったくのチートである。

「だったら無罪だろうが!」

私は、立ち上がって怒鳴りそうになったが、そんなことで有罪判決は覆らない。

弁護人と目も合わそうとしない裁判官たちは、判決が終わると足早に退廷していった。

判決終了後、私は、記者会見に出席した。

例のNHKの記者が前面に座って、判決は、被告人が著作権ビジネスを変えようとしたと認定したとデタラメなことを言いだしたので、「出ていけ!」と怒鳴った。

例のお手紙を知らない人は、どうして私がこの記者に怒っているのか分からなかったと思う。

その後、いろいろあった。やけ酒を飲んで自宅に辿りついたのは深夜であった。

深夜テレビをぼーっと眺めていると、画面が滲んできた。。。

 

判決は、いろいろな反響を生んだようである。

判決に憤ってくれる人もいた。

落胆してる私を心配してくれる人には、救われる思いがした。

だが、新聞は、一部を除き、概ね有罪支持であった。

日経新聞の社説は、情報漏えいが起こったので、有罪は妥当であるというものであった。

関係ねぇだろ(゚Д゚)ゴルァ!。

2ちゃんねるでは、後に、「誰でも無罪とれる事件を有罪にしたヘボ弁護士」とディスられている書き込みを見つけた。

ダッタラオマエガヤレヤ(゚Д゚)ゴルァ!。

ただ、そんなものよりも堪えたのは、

弁護団長の

「壇くんのせいで負けた」

という背中から刺してくるような一言であった。

しかし、何も言い返すことはできなかった。

博士が問題だったのか。

いや、違う。

じゃあ、裁判所か。

いや、裁判所が不公平だなんてずっと前から分かってたことである。

弁護戦術の立案及び実行は?

私の担当である。

結局

力不足

認めざるを得ない事実であった。

技術者を守りたくて法曹を目指したのではないのか。技術者が理不尽な有罪判決くらって、なにもできなくて、今後、己は何を誇るつもりなのか。

もはや博士の問題ですらなくなっていた。

「この事件は私の事件ですから」

そのころから、私は口にするようになっていた。

博士と私のゲン担ぎ

被告人質問の際は、博士に大阪に来てもらうことが多かったので、うち合わせの後は一緒に大阪で食事をすることが多かった。

博士は、ご飯三大原則(参照)があるので、宅配ピザとかジャンクになりがちである。

あるとき、博士があっさりラーメンを御所望ということで、大阪ではあっさりで有名な「揚子江ラーメン」につれて行った。

Original1

東京荻窪の醤油ラーメンのようなものを予想していた博士曰く

「これはあっさりしすぎてラーメンじゃないやい」

であった。

難しいお年頃のようである。

被告人質問を翌日に控えたうち合わせの後、ちょっとゴージャスに焼き肉屋さんに行ったら、次の日の尋問がスムーズだった。

それ以来、期日の前日は焼き肉が、二人のゲン担ぎであった。

但し、焼くのはもっぱら私であった。

反対質問

反対質問は、2006年3月20日と2006年5月1日にあった。

反対質問というのは、テレビとかでも良く見る検察が被告人を問い詰めるあれである。

反対質問で喋ることが、過去のことの供述である以上、記憶違いや変遷というのは結構あり、それなりの練習が必要である。

しかも、博士は、後から気付いたことでも、前から分かっていたと言う癖があった。そんな癖は母性本能たっぷりの女性には可愛く感じるところかもしれないが、刑事法廷では、自分の首を絞める以外の何ものでも無い。

と言うわけで、私は一計案じた。

私は博士に、検察官よりも尋問が上手なはずです。
私の尋問に耐えられれば、検察官の尋問にも耐えられるでしょう。
と持ちかけて、仮想反対質問をすることにした。

で、博士をボロボロにした。
その結果、博士は「事実をそのまま話したら良いんですね」と納得したようである。

だから、最初からそうしろちゅーとんねん、。

というわけで当日を迎えた。

検察は、尋問を始めた。

「平成14年4月1日に、2ちゃんねるで、47という名前で開発宣言というのをされたんですね。」

「はい、した記憶があります。」

「暇なんで、Freenetみたいだけど、2ちゃんねらー向きのファイル共有ソフトの一つを作ってみるわ。もちろん、ウインドウズネイティブな。少し待ちなぁ。こういう文言ですね」

「そうだとおもいます。」

「あなたが開発宣言をしたのは、この2ちゃんねるだけですか」

「・・・・Winny1に関する開発宣言ですか、Winny1に関する開発宣言は、記憶では4月1日のそれだけですけれども。」

「この開発宣言の中で、少し待ちなあと書いてますね」

「はい」

「何を待つということですか。」

え、検察官、それを聞いてどうするの?
私の心配をよそに検察の質問は続く

「Napstarとか、Gnutella、あるいはWin-MXは、これらのソフトについては、あなたはどのようなことに利用されていたのか、あるいは、どのような問題が起こっていたのか、どういうふうに認識されておったんでしょうか。」

「その名前のとおりで、ファイル共有に使われていたと思います」

検察は、ファイル共有ソフトというものは著作権侵害で利用されていると言わせる作戦のようである。

「Win-MXで逮捕者が出たのは何の容疑であったか知ってますか。」

「確か、著作権法違反だったんじゃないですか」

検察官はにやりとして進める。

「WinnyはWinMXやFreenetなどを参考にして新規に作られたファイル共有ソフトです。とありますけど、これはあなた自身が書かれた文章ですね。Win-MXのどのような点を参考にされたのですか。」

「Win-MXのところで参考になったのは、特にその高速性です。」

「あなたが、Winnyを開発、そして公開した目的は、その技術的検証にあったと。したがって、著作権侵害の目的も意図もなかったということでよろしいんでしょうか。」

「はい。そのとおりです。」

「あなたがWinnyの技術的検証を行ったというのは、その検証の形跡というのは何を見れば分かるんですか」

「ある程度動作して、それなりに問題がなければではないですかね。」

「あなたは、Winnyを暇つぶしに作ったに作ったともおっしゃっておられるんですね。これも検証と同じ意味なんですか」

あれ、噛み合ってないぞ。。。

「あなたは、この法廷ではWinnyの技術というあなたの書いた本を見てもらえば、Winnyを作った意図が分かりますというふうにおっしゃいましたね。Winnyの技術という本を読んでも、よくわからないんですけど、どこに書いてあるんですか。」

「・・主にここにあります。39ページ、2章の一番初め、Winnyの開発コンセプトのところが、そのWinnyの開発コンセプトです。目指したところが、これになります。」

「あなたがおっしゃったのは、その技術の特性ですね、それ自体は開発の意図とは関係ないのではないですか」

「開発する意図というのは、技術検証にありますので、・・」

検察は、開発目的とユーザの利用目的を混同して質問しようとしたようであるが、どうも技術検証の意味がかみあわないままに失敗したようである。

検察は、冒頭陳述で大きく取り上げていた匿名性について聞き始める。

「Winnyの特徴というのは匿名性ということだったですね」

「そうですね。一つの特徴としては匿名性を持つことになります」

「あなたが、匿名性として情報の第一発信者を分からなくすること、その点を重視したのはどういう理由からなんですが」

「・・・重視したのがですか・・・重視はしていないですけども、要素としては持っているくらいですか、どっちかといえば効率性の方を重視していますので、開発の最中はずっと」

検察の切り札の匿名性も失敗のようである。

検察官は、著作権侵害防止機能について聞き出した。

「著作権者の許諾があるデータを、そうではないデータと識別する機能はWinnyにあるんですか。」

「機能的には無理と思います」

そんな機能、今の世界にもない。検察官の質問も言いがかりのような内容になってきた。

ついに、2ちゃんねるの書き込みについての質問を始めた。

「872番目の書き込みを見てください」

「ソフトはコピーフリーでかまわないはずですと書いていますね。」

「はい」

「一つ前の871番目の書き込みをみてください。…あなたのうんちくが書いてあるんですけども、下の方を見ると、私はソフトウェアはタダであるべきとか、音楽その他の著作物がすべてPDSであるべきと考えているわけではありません。とありますが、PDSとはパブリックドメインソフトのことですか」

「そうです」

「その書き込みをみると使い物になるFreenetを目指して作ったと書いてあるんですけども」

「そうですね」

博士が2ちゃんねるで著作権侵害を奨励していたとか、マスコミにリークしていたのであるから、検察は2ちゃんねるを重視していたはずである。、しかし、2ちゃんねるに関する質問はこれで終わった。

検察官は、京都府警のガサが大失敗したダウンロード専用Winnyについても質問を始めた。

「話は変わるんですが、あなた自身が使っておられたパソコンは、ダウンロード専用に設定がされていたんですかね。」

「パソコンが?パソコンはアップロードもダウンロードもできるパソコンでしたよ」

もう、パソコンの問題とWinnyの問題を混同してグダクダである。

「警察の捜索を受けた際には、アップロードできないようになっていたんじゃないですか。」

「実験用のWinnyの話でしょうか。アップロード専用版もあって、そちらもテストはしていましたので、ダウンロード版だったのはたまたまですね。」

そもそも、技術に暗い検察を公判検事にして何をしたいのかが解らない。検察の反対質問はその後数点残して終わり、弁護側の再主質問、裁判所の補充質問を経て、被告人質問は終わった。

そして、一回の整理手続きを経て、論告、弁論の後に判決期日を迎えた。

このときは、無罪を信じていた。。。

博士の衣装

2006年3月のころは、Antinyやその他情報漏えいウイルスが大盛況で、ときの官房長官がWinnyの利用自粛を呼びかけたりしていた時期であった。

当時は、マスコミの取材申込みもあったが、Winny=悪で、博士の顔写真を撮っていっちょあり!的な企画が多かった。

メディアは、博士にダークヒーローを求めていたのである。

もちろん、博士にそんなものを求められても困るので、お断りである。

そんな中、MBSからのメールが目に留まった。

「取材をしたいと考えたのは、「勿体ないから」のひと言に尽きます。」

「金子様の「技術」に対する純粋な探究心や人間性を表現し、・・・」

担当者の博士の人間そのものを伝えてみたいという姿勢は、意外で、奇異ですらあった。

ちょうどそのころ、報道ステーションからも取材の申込みがあった。これも、誠実な申込みであった。担当は、元々大阪の司法記者クラブで見知った仲だったからかもしれない。

博士が所属していた会社からも消極的な意見もあったが、記者の真摯な態度を信じて取材を受けてみることにした。

で、取材と言っても、博士がお気に入りの穴の空いたジャケットで出演させるわけにはいかない。

というわけで、会社で、ファッション会議が行われた。

「で、洋服買うのに、壇くん以外に誰がついていくの?」

「私だけですが、なにか問題でも?」

「壇くんのダサいセンスじゃだめだから、オレが行くよ」

「いや、二人に任せるよりも、ここは私が」

「女性の意見も必要ですよね」

というわけで、博士を自分色に染めようとする男数人と女性1名で、有楽町の無印良品でお買い物である。

「やっぱ、知的にメガネだよねぇ」

「僕は、金子さんにサスペンダー似合うと思うんだよねぇ」

みんな、なんか楽しそうである。

報道ステーションの取材は、スタイリストに来てもらった。

せっかく、テレビにでるんだから、少しでもかっこよくである。

Style

で、出来上がりはこんな感じである。

博士は、緊張すると口角が上がるのである。

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そして、出演前の博士は超緊張である。

Syutuenmae

で、2006年4月14日OAであったが、しゃべりの下手な博士が一生懸命喋ったのが効いたのであろうか、報道ステーションと言えば古館さんが世間様を持ち出してネガティブなコメントをつけることも覚悟していたが、古館さんは「難しい」という一言で終わった。

その後のMBSの特集も博士の人物像を描こうとするものであった。

ちなみに、このときの衣装であるが、博士が気に入ってしまって、普段着にしてしまったので、その後、取材用の服を別に買うことになった。

「おんなオシャレな店は居づらくて仕方ない」という私の反対はどこやらで、第2回ファッション会議の末に選ばれたのは、銀座のブルックスブラザースである。

で、買ったのがピンクと青のシャツとスラックスで、この二つは、ちょっと痩せた博士によく似合ったので、その後の取材でも大活躍であった。

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それから数年して。。。

彼の告別式で使われたのは、このときに買ったシャツを着た写真であった

良かったね。かっこいい写真が残ってて。

私は、そうつぶやいて、遺影に手を合わせた。

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