あたーにーあっとろーとは?

  • Winny制作者金子勇氏
    こと博士の素顔があまりにも面白いので、弁護人である私の目から、事件を振り返ってつれづれなるままに書きつづってみる、壇弁護士の事務室のスピンアウトブログです。

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2015年8月31日 (月)

カプセルマン第2話「カプセルマンあらわれず」

「Winnyが動くところを見たい」

高等裁判所が言いだしたのは、第1回公判期日が終わってすぐのことである。

正直、またかよ!である。ただし、大阪高裁は、京都地裁とは違って節度があった。弁護側にもプレゼンの機会を与えるということだったのである。

検察側のプレゼンは、2009年3月13日、懲りもせずコピーライトギルド総本山ことJASRACの京都支店で、Winnyの実演会である。

パソコンを操作するのはまたしても京都府警であった。しかし、栄転したK警部補ではなく、名前も聞いたことのないおまわりさんであった。

おまわりさんは、K警部補がやったように、弁護側に開示していないマニュアルにしたがって、各ボタンの説明をし、初期ノードの設定をし始めた。

そして、おまわりさんは、初期ノード集サイトから、一番上を登録して接続を試みた。

が!、異常に接続が早い。不審感を感じた私は、手順書とおり設定しなおしてもらった。すると案の状、接続が安定しない。どうも、あらかじめノードを仕込んでいた様子である。相変わらずの京都府警クオリティ。こちらも警戒心5割増しである。

次に、おまわりさんは、ポートの設定をして、ダウンロードをしようとしはじめた。

しかし、ダウンロードできない。彼は、ファイルをダウンロードしようとするのであるが、どのファイルも2MB程度ダウンロードした時点でダウンロードが切断されるのである。

当然理由は分かっている。

私と博士は、ひそひそ声で「ポート開いてないね」「そうですね。」と確認し合った。

Winnyには、接続しているノード同士が相互にデータを送受信できるかを確認するという仕様がある。データの受信しかできないノードがネットワークの中心にあればネットワーク全体の効率が低下するからである。

それを回避するには、ポート解放という設定をして、データの送受信が可能な状態にするか、ポート0と呼ばれるダウンロードが遅い設定にしなければならない。それもなしに、通常のダウンロードを試みても30秒でダウンロードが切断されるのである。

すこし、専門的な知識が必要な話であるが、要するに、京都府警とジャスラックは重大な設定ミスをしていたのである。

無修正動画で、高裁に悪印象を植え付けようとしていたおまわりさんは、ダウンロード切断祭りに大焦りである。むやみにダウンロードしようとしては、ダウンロード失敗を繰り返していた。

「その容量小さいのならダウンロード出来ますよ」

私は、あるファイルを指差した。それは、Winnyを悪用したウイルスAntinnyに感染したWinnyがアップしていた画像であった。

トレンドマイクロのHPから

トレンドマイクロから

それは、もちろん、動作確認にかこつけて著作権侵害を印象づけたい京都府警に対するイヤミである。

「それは、容量的に・・・ウイルスが・・・」

おまわりさんは動揺の色を隠そうともしない。彼は、私の提案を無視して、大容量のファイルのダウンロードを試み続けた。

「もうすぐ、30秒だから切れますねぇ。3、2、1、ハイ切れた。」

博士と私は、おまわりさんに聞こえるように言った。京都府警がここまでしょっぱいことをするとは思っていなかったので、半ば呆れ気味である。

その結果、私達は、Winnyを眺め続けた。

何もダウンロード出来ないWinnyを。

2時間程。

 その後、おまわりさんは、言い訳程度にBBS機能の説明をして終了した。

 

弁護側プレゼンは、2009年5月11日、裁判所の会議室で行われた。

会議室でパソコン5台を並べて仮想環境でWinnyの動作を確認したのである。

プレゼンの装置やシナリオは私が作ったのであるが、説明は主任弁護人である。

私がするよりも、主任の方がITを分からない者の気持ちから話できると判断したからである。

そんな気持ちを分かってかどうか、主任は、でっかい頭の指示棒を使ってノリノリである。

主任は、Winnyの検索ネットワーク、Winnyのダウンロード、Winnyでは混同されやすいが検索とダウンロードのネットワーク構成は全く別であること、キャッシュの位置づけ、同時ダウンロード、無視機能、そして、ポート問題を説明していった。

そして、主任は、警察が作った実況見分書記載の構成ではネットワークにつながらないこと、そして、タイムアウト切断し続けた本当の理由を、どや顔で説明した。

退屈そうな検察官とは対照的に、裁判官は結構興味深げであった。

2015年8月30日 (日)

死に至る病

この事件が始まってから、博士がプログラムを公開するときは、必ず弁護人のチェックを受けるという約束をしていた。

しかし、思いつきでプログラムをつくっては、ユーザーのリアクションを見て改良していく博士の創作スタイル的には、創作意欲を削ぎまくりだったようである。

博士は、有罪判決よりも、弁護人チェックが続くことが辛かったようである。

ある日、博士は、私に言った。

弁護士さんというのは、私が自由にプログラムできるようにするのが仕事じゃないんですか。
壇さんは、反対に、私がプログラムできないようにできないようにしている。
プログラムできないんだったら、死んでるのと一緒!

そのとき、私は、
申し訳ない。
とだけしか言えなかった。

アピール・アピール・アピール

京都地裁判決から高裁の第1回期日が開かれるまで、2年間を要した。

通常は半年程度なので、かなり長い方である。

その間何をしていたかというと、控訴趣意書とその反論があったのである。

控訴では、裁判所に、原判決が不当である理由を控訴趣意書にして出さなくてはならない。

弁護側も控訴、検察官も控訴、いわゆる双方控訴で、こっちは、なんだかんだで大部の書類を作っては提出していたのである。

2007年 6月21日 検察から薄い控訴趣意書
2007年 8月28日 弁護側から分厚い控訴趣意書
2007年 9月28日 弁護側から検察控訴趣意書に対する分厚い答弁書
2008年 6月18日 検察側から弁護側控訴趣意書に対する薄い答弁書
2008年 9月 1日 弁護側から分厚い控訴趣意補充書
2008年11月 8日弁護側から検察官答弁書に対する分厚い反論書
2008年11月14日 弁護側から立証方針の提出
2008年12月 8日 検察側から立証方針提出

他にも、控訴審に備えて、原審にもまして文献の調査をした。
また、いろんな弁護士の話も聞いたので結構忙しかった。

いろんなアドバイスがあった。

しかし、その多くは、私の求めているものでは無かった。

私は、この事件を評論して欲しかったのではない、勝つための方法を知りたかったのである。

控訴審を迎えるプレッシャーは、すでに十分ふてぶてしいとはいえ、まだ若手弁護士であった当時の私には重すぎた。

当時の私は、1人になると、うわごとのように、独り言を言っていることがが多かった。

「勝ちたい」

と。

そんな中、2009年1月19日に控訴審第1回公判期日を迎えた。

私は、そのころブログにこう書いた。

この事件で、名誉が欲しいわけでも金が欲しいわけでもない。

私は、ただ、無罪が欲しい。それだけである。

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