あたーにーあっとろーとは?

  • Winny制作者金子勇氏
    こと博士の素顔があまりにも面白いので、弁護人である私の目から、事件を振り返ってつれづれなるままに書きつづってみる、壇弁護士の事務室のスピンアウトブログです。

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2015年8月30日 (日)

アピール・アピール・アピール

京都地裁判決から高裁の第1回期日が開かれるまで、2年間を要した。

通常は半年程度なので、かなり長い方である。

その間何をしていたかというと、控訴趣意書とその反論があったのである。

控訴では、裁判所に、原判決が不当である理由を控訴趣意書にして出さなくてはならない。

弁護側も控訴、検察官も控訴、いわゆる双方控訴で、こっちは、なんだかんだで大部の書類を作っては提出していたのである。

2007年 6月21日 検察から薄い控訴趣意書
2007年 8月28日 弁護側から分厚い控訴趣意書
2007年 9月28日 弁護側から検察控訴趣意書に対する分厚い答弁書
2008年 6月18日 検察側から弁護側控訴趣意書に対する薄い答弁書
2008年 9月 1日 弁護側から分厚い控訴趣意補充書
2008年11月 8日弁護側から検察官答弁書に対する分厚い反論書
2008年11月14日 弁護側から立証方針の提出
2008年12月 8日 検察側から立証方針提出

他にも、控訴審に備えて、原審にもまして文献の調査をした。
また、いろんな弁護士の話も聞いたので結構忙しかった。

いろんなアドバイスがあった。

しかし、その多くは、私の求めているものでは無かった。

私は、この事件を評論して欲しかったのではない、勝つための方法を知りたかったのである。

控訴審を迎えるプレッシャーは、すでに十分ふてぶてしいとはいえ、まだ若手弁護士であった当時の私には重すぎた。

当時の私は、1人になると、うわごとのように、独り言を言っていることがが多かった。

「勝ちたい」

と。

そんな中、2009年1月19日に控訴審第1回公判期日を迎えた。

私は、そのころブログにこう書いた。

この事件で、名誉が欲しいわけでも金が欲しいわけでもない。

私は、ただ、無罪が欲しい。それだけである。

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