あたーにーあっとろーとは?

  • Winny制作者金子勇氏
    こと博士の素顔があまりにも面白いので、弁護人である私の目から、事件を振り返ってつれづれなるままに書きつづってみる、壇弁護士の事務室のスピンアウトブログです。

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2015年11月 2日 (月)

高裁弁論

2009年7月16日は、高裁の弁論が開かれた。

高裁で証拠調べしたので、その結果を踏まえて、検察側、弁護側でプレゼンを行ったのである。

検察の主張は、Winnyで著作権侵害した正犯は、博士の描いたシナリオに乗せられたにすぎない等精一杯のハイボールであある。

正直、何とかの1つ覚えであるが、そんなことはどうでもよかった。
既に、検察は眼中になかった。

闘う相手は、地裁判決だったのである。

検察側の次は、弁護側の弁論である。

事前に、私は、弁護側弁論に与えられた1時間を全部自分に欲しいと他のメンバーにお願いしていた。

最後に悔いの残らないようにしたかったのである。

私は、1時間の中で、パワーポイントを使って、海外の判決を紹介しながら、Winnyが黎明期の技術であり、技術のプラスの側面に目を向けるべきであるということや、法律論や技術論、正犯の立証の問題点などを精一杯述べた。

弁論を終えたとき、すべてやり終えたという変な満足感が自分の中に沸いてきた。

ただ、その中で述べた、

開発者もWinnyの現実の利用状況を認識していない。

という何気ない一言が、この事件の最後の最後で重要な意味を持つとは、そのときは全く考えてなかった。

判決期日が、2009年10月8日と指定され、高裁の審理は終えた。

その後、判決までの間、やたらと判決の予想を聞いてくる人が多かったのは閉口した。

注目を浴びている事件だったのでやむを得なかったのであるが、逆転無罪の可能性は何パーセントとか聞かれても答えようがない。

この事件は私の事件である。私が有罪と思っているわけがない。

正直するべきことは全てした。それでも有罪判決がでるときはでるのがこの世界である。

でも、記者はそんなことお構いなしである。

私に近しい人で、普段から事件の話を聞いている者まで、

でも、手応えとかわかるやろ?どうなん?

的な話をしてくる状況だったのである。

そんな中、私は、ブログにこんなことを書いた。

私は、金子氏の無罪を信じて闘ってきた。

できることはすべてしたつもりである。

人は最初それは誤っていると言い、次にそれは無理だと言い、そしてそれは誰でもできたという。

しかし、何かを成し遂げるのは実際に何かをした者だけである。

私は評論家でも予想屋でもない。

 

弁護士である。

そう思っている。

私の弁護士としての矜持であった。

そして、判決の日を迎えた。

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