あたーにーあっとろーとは?

  • Winny制作者金子勇氏
    こと博士の素顔があまりにも面白いので、弁護人である私の目から、事件を振り返ってつれづれなるままに書きつづってみる、壇弁護士の事務室のスピンアウトブログです。

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2015年11月21日 (土)

伝説が終わり、歴史が始まる。

2009年10月21日

検察が上告したニュースが入ってきた。

ちょうど、高裁判決の前に公開した記事がニュースになって、デスクが謝罪に来たりで慌ただしい状況が一段落ついたころであった。

予想していたことであったので、特に感想はなかった。

私は、ブログに書いた。

最後の闘いが始まった。

恐れも焦りもない。

私は、もう一度全てを懸けて戦い、もう一度無罪を勝ち取る。

それだけである。

 

ただ、彼がプログラマとして輝ける時間を、さらに無駄にすることだけが残念である…

 

勝負は、己の慢心で足下をすくわれるか否かだけであった。

検察から全文116ページの上告趣意書が提出されたのは、2010年3月23日である。

検察は、上告趣意書で、誰か1人でも悪いことをするかもしれないと認識していれば幇助犯が成立するという主張を始めた。

検察官が幇助の理論を明らかにしたのは、実は、これが初めてである。

これまでとは違うボリュームと、恥も外聞も無い主張に、なにがなんでも博士を罪に陥れようという組織のメンツと狂気を感じた。

負けてはいられない。

弁護側は、検察の上告理由に反論するべく、2010年6月30日に100ページを超える答弁書を出した。

それから、1年半の間、最高裁からはなんの音沙汰もなかった。

その間、時代はmixiからtwitterやFaceBookへと移行していた。

そして、

 

2011年12月20日の午後

東京行きの新幹線の中で、パソコンを開いたところ、ツイッターにWinny事件上告棄却のツイートが飛び込んできた。

私におめでとうというツイートもあった。

しかし。。。。。

なんで、私がしらんのじゃい!

 

中には、私が何もツイートしないことを不審がるツイートもあった。

でも、そんなことを私に言われても困る。。。

思わず、FaceBookに「探さないでください」と書いた。

すぐに「無理でしょう」というコメントが来た。

やっぱり?

 

そのころ、司法記者クラブから、記者会見を開いて欲しいという連絡があった。

め、めんどくさい。

しかし、この事件の最後に無罪を知らない人に無罪を知ってもらい、博士の名誉を幾ばくでも回復することは重要である。

博士に予定を確認したところ都合がつくということだったので、急遽、午後9時から東京で記者会見することにした。

マスコミ用の弁護団声明文や博士のコメントを用意し、記者クラブや会社の広報担当と電話連絡し…新幹線の中ではほとんど立ちっぱなしであった。

指定席の意味ねぇ。。。。

 

結局、午後9時前、司法記者クラブの前に集合したのは、博士、会社の広報担当、私、そして、たまたま東京にいて一杯引っかけてたほろ酔いの団長であった。

博士は相変わらず言葉のセレクションが下手なので、記者会見前の打ち合わせにどれだけ時間を取れるかが重要である。

控え室で、うち合わせを始めようとする、慌ただしい状況を無視して、団長がなぜか連れてきた女性と記念撮影をしようとしだす。

団長の意味ねぇ。。。。


遊びに来たのなら出ていけ!

私の怒鳴り声が記者会見会場となりの控え室で響く。
 

それでも記者会見は無罪確定でニコニコである。
記者会見は、テレビやニコ生で放送された。

インターネットウォッチ

ニコ生

博士は、髪ぼさぼさで、栃木なまり全開である。

結局、超フリーダムな記者会見になった。

結局、個別取材を終えたのは日付も変わろうとするときであった。 

そうして、Winny事件は終わった。

 

後日、弁護団で祝勝会を開いた。

普段、お酒を飲まない博士も、少しだけワインを飲んで、顔がまっかっかであった。

http://danblog.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2012/01/09/syukusyoukai.jpg

まさに勝利の美酒であった。

 

最高裁決定の内容を確認したのは、記者会見から暫くたってからである。

無罪になったのは、例外的で無い程度の著作権侵害について故意がないという多数意見の理由である。

一般的にはクビをかしげそうな理論ではある。しかし、最高裁も博士のような人物を有罪にしてはいけないと思う程には常識的だったのであろう。有罪の反対意見を書いたただ1人の裁判官を除いて。

結局、博士は、弁護人が優秀だからではなく、博士が法を超越したプログラム馬鹿だから無罪になったのである。

そして、最高裁の理論を見る限り、Winnyの開発継続が罪になることは確実となった。

こうして、Winnyは過去のソフトウェアになった。

 
博士には僅かばかりの刑事補償がなされた。
しかし、彼が失った日々に見合うものようなものではなかった。

 

警察や検察から、人の人生の最良の時間を奪ったことに対して、謝罪の一言も無かった。

京都府警は、今も狂気な逮捕をくり返している。

Winny事件の前は、著作権侵害蔓延目的という自白調書を騙し取ろうとしていたのが、今度は、最高裁の基準に従って、例外的で無い程度の違法な利用を認識認容していたという自白調書を騙し取ろうとするようになっただけである。

裁判所から違法な取調をしたと指摘されたK警部補は、サイバー犯罪対策室の室長として定年を迎え、ノンキャリ公務員憧れの超大手電機メーカーに天下りした。反省どころか、博士は悪い奴であると吹聴していたという話を伝え聞いている。

検察や京都地裁も相変わらず、警察の追認機関状態である。

そんなことをしている間に、

P2Pの開発は日本でまったくされなくなった。

コンテンツ配信の世界は、itunesやYoutubeに席捲された。


結局、7年半を費やした博士に残されたのは、プログラマとしてのほんの小さな名誉だけであった。

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