責任の行方
昨今なかなか香ばしい男になっている。ヒューザーの社長である。
この件についての責任問題の話は、マスコミが躍起になっているので、あまり興味がない。
私が言いたいのは、この手の問題で誰が最終的に負担をしなくてはならないかである。
多くの人にとって、マンションを購入するのは、スーパーで大根を買うのとはものが違う。一生に1回というのがほとんどではないだろうか。夢を見て、借金までして購入して、得たものは設計書の段階ですら十分な強度がない建物(施工の段階ではさらに低くなっている可能性すらある。)というのは、あまりに無情である。
もちろん、業者に責任追及可能であろうが、会社がつぶれてしまえば判決は紙切れ同然である。
そもそも、このような問題が起こらないようにするために、建築許可や基礎計算があるのではないだろうか?
いつも、この手の問題のコストは、消費者に押しつけられてしまう。悲しい話である。
この問題は、債務超過を隠す公認会計士などにも共通する話である。
確かに、お客からお金をもらう立場でありながら、お客に「NO!」と言うのは難しいことである。
しかし、住宅建築に携わる人たちは、欠陥住宅を造りたくて仕事を始めたのではないだろう。
お客の喜ぶ顔を見たくないのだろうか?志を持ってほしいところである。
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