シンポジウム「ネットワークの匿名性とプライバシー保護」
憲法では、プライバシー権の内容が何かについて、憲法学者を中心とする長い争いがあって、プライバシー権やプライバシーが何であるかについて決まった定義がない。
私生活をみだりに公開されない権利と考える立場(東京地判昭和39年9月28日)
自己の情報をコントロールする権利と考える立場(佐藤幸他)
ただ、情報コントロール権ととらえる立場も、自己の情報とは何かについていろいろと考えがあったりして、一筋縄ではない。
さらに、プライバシー権として保護されない場合であってもプライバシーに含まれる場合があるとか言い出すともぅややこしい。
ちなみに、個人情報がプライバシーに属するかは、個人情報の定義が個人情報保護法のとおりだとすると、プライバシーやプライバシー権をどのように考えるかによって大きく異なる。古典的な学説を前提にすれば、氏名というのは私生活上の秘密ではないだろうからプライバシー権としては保護されないように思える。
次に、裁判例であるが、下級審では宴の後事件がとても有名である。
「いわゆるプライバシー権は私生活をみだりに公開されないという法的保障ないし権利として理解されるから…そしてここにいうような私生活の公開とは、公開されたところが必ずしもすべて真実でなければならないものではなく、一般の人が公開された内容をもつて当該私人の私生活であると誤認しても不合理でない程度に真実らしく受け取られるものであれば、それはなおプライバシーの侵害としてとらえることができるものと解すべきである。…プライバシーの侵害に対し法的な救済が与えられるためには、公開された内容が(イ)私生活上の事実または私生活上の事実らしく受け取られるおそれのあることがらであること、(ロ)一般人の感受性を基準にして当該私人の立場に立つた場合公開を欲しないであろうと認められることがらであること、換言すれば一般人の感覚を基準として公開されることによつて心理的な負担、不安を覚えるであろうと認められることがらであること、(ハ)一般の人々に未だ知られていないことがらであることを必要とし、このような公開によつて当該私人が実際に不快、不安の念を覚えたことを必要とする」(東京地判昭和39年9月28日)
最近では、この考えを踏襲したものにTBC事件がある。
「エステティックサービスに関心があり、エステティックサロンを経営する被告に個人の情報を提供したことは、純粋に私生活上の領域に属する事柄であって、一般に知られていない事柄でもある上、社会一般の人々の感受性に照らし、他人に知られたくないと考えることは、これまた自然のことであるから、これらの情報全体がプライバシーに係る情報として法的保護の対象となるものというべきである。」(東京地判平成19年2月8日)
これに対して、情報コントロール権に近い考え方からプライバシーとして保護した事例として、私も団員として加わったYahoo!BB個人情報漏洩事件があったりする。
「このような個人情報についても,本人が,自己が欲しない他者にはみだりにこれを開示されたくないと考えることは自然なことであり、そのことへの期待は保護されるべきものであるから,これらの個人情報は,原告らのプライバシーに係る情報として法的保護の対象となるというべきである。」(大阪地判平成18年5月19日)
これらの事件、損害額で大きく差がついているだけでなく、他にも興味深い対比点があったりするのである。ただ、両判決に使われている「係る」という文言はくせ者である。この一言で、プライバシー権として認めたのか、プライバシーとして認めたのか、プライバシーの周辺法益とした趣旨なのか私には分からなくなるのである。また、法的保護の対象というのは、どういう意味なのであろうか、これも、ややこしいところが多い。
また、住基ネットの関係では、プライバシーを情報コントロール権とした、かなり思い切った判断をしているものがある。
「そうであれば,明示的に住基ネットの運用を拒否している控訴人らについて住基ネットを運用すること(改正法を適用すること)は,控訴人らに保障されているプライバシー権(自己情報コントロール権)を侵害するものであり,憲法13条に違反するものといわざるを得ない」(大阪高判平成18年11月30日)
他方で、情報コントロール権を否定したものもある。
「原告は、旧行政機関保有個人情報保護法は個人の自己情報コントロール権を実定化したものであると主張する。しかし、同法は、電子計算機処理に係る個人情報の取扱いに伴って生ずるおそれのある侵害から守られるべき個人の権利利益を保護する目的で制定されたものであって、結果として個人のプライバシー権が保護される可能性が広がることになってはいるが、いわゆる自己情報コントロール権も含むプライバシーといわれるもの全般を保護する目的でそれを実定化したものではないことは、その立法の過程等からしても明白である。したがって、個人情報の収集・保持が行政機関によって組織的に行われるのでなければ、個人情報を他者にみだりに収集・保持されたくないとの本人の期待は、未だ法的保護の対象となるには至っていないというべきである。」(新潟地判平成18年5月11日)
「前記のとおり,プライバシーの権利の法的性質を自己情報コントロール権と解し,非公知性の要件は不要ないし希薄化していると主張している。…上記原告の主張は,原告の自己情報を開示することによって得られる経済的社会的利益を原告自身が独占したいという,いわば自己情報の財産的価値の独占的利用を主張するに等しい側面があることも否めず,かかる利益をプライバシーの権利によって保護すると解することは上記のプライバシーの権利の趣旨にそぐわないものと言わざるを得ない。…非公知性を欠き,プライバシーの権利に基づく法的保護は与えられないというべきである。」(東京地判平成18年3月31日)
また、ややこしいことに、自己情報コントロール権らしきものをプライバシーではなく保護されるとしたものもある。
「プライバシー権は,個人の私生活上の自由を保護するものであり,人格権の一種として,憲法13条によって保障されている。…もっとも,プライバシー権が,人格権の一種として憲法13条の個人の尊重の理念に基礎を置くものである以上,保護の対象として中心となるのは,人格の生存や発展に不可欠な情報であり,それに直接かかわらない,外的事項に関する個人情報については,行政機関等が正当な目的で,正当な方法により収集,利用,他へ提供しても,プライバシー権の侵害とはならないと解される。自己情報コントロール権は,このような内容の権利として,憲法上保障されているというべきである(以下,原告らの主張する権利内容と区別する意味で,この権利を「自己情報管理権」という。)。」(大阪地判平成18年2月9日)
というわけで、下級審から認められる範囲では、宴のあと事件の定義するプライバシーまでは法的保護が認められるということくらいしか確かなことが言えないのである。
そして、最高裁判例では、プライバシーと言われることが多いものについて個別に法的に保護されることを認めたようなものがあったり、場合によってはプライバシーという言葉を使っているものもあるが、プライバシーの権利を正面から明確に定義したものがない。
「承諾なしにみだりにその容貌・姿態…撮影されない自由」(最判昭和44年12月24日)
「人はみだりに自己の容ぼう,姿態を撮影されないということについて法律上保護されるべき人格的利益」(最判平成14年11月21日)
「前科及び犯罪経歴…みだりに公開されないという法律上の保護に値する利益」(最判昭和56年4月14日)
「みだりに指紋の押なつを強制されない自由」(最判平成7年12月15日)
「本件記事に記載された犯人情報及び履歴情報は,いずれも被上告人の名誉を毀損する情報であり,また,他人にみだりに知られたくない被上告人のプライバシーに属する情報であるというべきである。」(最判平成15年3月14日)
「学籍番号,氏名,住所及び電話番号は,早稲田大学が個人識別等を行うための単純な情報であって,その限りにおいては,秘匿されるべき必要性が必ずしも高いものではない。また,本件講演会に参加を申し込んだ学生であることも同断である。しかし,このような個人情報についても,本人が,自己が欲しない他者にはみだりにこれを開示されたくないと考えることは自然なことであり,そのことへの期待は保護されるべきものであるから,本件個人情報は,上告人らのプライバシーに係る情報として法的保護の対象となるというべきである。」(最判平成15年9月12日)
というわけで、結局のところ、プライバシーとはなんぞやというのは結局のところ分からない。
私は、プライバシーと聞かれた場合、これらの判決が頭の中をグルグル回るのである。職業病か??
この手の分野は興味がある人は、正解を私に教示していただければ幸いである。
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