増員の果てに
同期の弁護士を通じて、34回司法法試験委員会ヒアリングを見た。
司法試験委員のヒアリングの結果が記載されていて、公開情報とはいえ、現在の修習生の状況について率直な意見が記載されていた。心に残る部分が多かった。
「研究者の方がお書きになった基本書ではなく,予備校のテキストを使っている者が意外に多かった,こんなに多くの修習生が予備校のテキストを使っているとは思わなかった,と言っている教官もいた。」
私の経験で言うと、今や基本書を読んでいる人を探す方が困難である。基本書の大切さや論理操作の大切さを説いても、時間がないといって、予備校のテキストの暗記に走っている状況である。
そう言う人は、完璧に暗記して合格する者もいる。しかし、多くは、ある程度で伸びがとまって、問題を覚えることしか出来ないようになり、絶対に合格できない人になる。それでも、なぜか自分は大丈夫と考えている根拠レスな確信を持っている人が多い。しかし、受験は暗記するところと自分で考えるところの両方がある。どちらも大切なのである。もし、これを読んでいる受験生がいれば参考にしていただきたい。
「教官の間で最も意見が一致したのは,全般的に実体法の理解が不足しているということである。単なる知識不足であれば,その後の勉強で補えると思うが,そういう知識不足にとどまらない理解不足,実体法を事案に当てはめて法的な思考をする能力が足りない,そういう意味での実体法の理解不足が目立つというのが,非常に多くの教官に共通の意見である。」
「全般的に見ると,優秀な修習生がいることに変わりはないが,能力不足の修習生も増えているという印象が共通のものかと思う。」
法的思考能力の欠如も、修習生の研修に参加している者の立場から言うと痛切に感じているところである。1000人時代が到来したときも実感したが、現在はそれからさらに落ちている感じである。
法的思考能力は、実務家が実務家たるゆえんである。しかしながら、法的思考能力はとても得難く失いやすいものである。研鑽を怠れば、数年もあれば、法的な考えが出来ないようないわゆるボケ弁になる。このような先生を相手にすることもあるが、正直なところ迷惑である。
しかし、このような弁護士による不利益を受けるのは究極には依頼者である。
「また,立場を変えて思考することが上手くできない修習生が増えているという指摘がある。例えば,弁護士修習をしているときは,当事者の立場に立って物を考えることができなければいけないが,そういうことがあまり上手にできない修習生が増えていると聞いている。」
弁護士を増員したのは、広く弁護士サービスを受けるという趣旨ではないのか。しかし、質の低い弁護を受ける危険を負わせていることにならないのか。自分の立場から考えてもらえない弁護士を増やすのが司法制度改革なのだろうか。採用する側の立場から言うと、正直、弁護士のように厳しく能力が問われる世界に来るべきではなかったと思うような者もいる。
そして、新しく弁護士になっても、生活に精一杯で、利益にならない仕事をする余裕がない状況である。政府ですら増やしすぎではないかと言われている状況で、日弁連はピンぼけの発言をしている。選挙活動に明け暮れているのはいいが、将来の弁護士をちゃんと考えていない人には会長になってほしくないとは思う。
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