生と死と医療
なぜか、元ケン弁護士からまったり雑談ねたへの閲覧者が多かったりする。すみません。ショーもない話で。
元ケン弁護士は、医療問題を巡って、あの小倉弁護士とコンフリクト状態だったりするので(正直、古典的な旧過失論と新過失論の対立を論じてもあまり意味がないと思うのであるが…)、今日は、医療過誤について思うことを書いてみようとおもう。
先日、帝王切開死の医師に無罪判決が下された。
記事を見ると、弁護側の証人の信用性が認められたとあるだけなので、検察はろくに専門家もたてずに公判を維持しようとしていたのかもしれない。
Winny事件では検察は技術的な裏付けなくマイ技術論を展開していたが、今回の医療過誤事件で同じことが行われていたとすると、医療関係者に対して恐ろしく不遜な態度だと思う。…文献くらいは出したようなので、Winny事件よりはまだましか…。
この事件は高裁がどういうかは私には解らない。ただ、検察のメンツや安易な被害者保護論にも、他方で単純な産婦人科保護論にもなって欲しくはない。一定の割合で人の死に関わらざるを得ない医師は、いかなる場合にどのような責任をとるべきかという観点からの判断がなされることを願っている。…そのような判断を日本の刑事裁判所に期待するのは、あまりに無謀ではあるが。
民事はどうであろうか。すべての弁護士がそうではないが、とりあえず訴えてしまえ的な弁護士がいることは確かである。他方で、どうみても過失にもかかわらず、不誠実な弁解を繰り返す医師もいる。
私は、いちおう医療過誤を専門分野の一つとしている弁護士だったりする。私は医療過誤事件をする場合、必ず、医学文献を精査するし、賠償請求の前には必ず医師の意見を聞いている。それが専門職に対する礼儀と考えているからである。私が賠償請求をする場合には、その医師の行為を間違いだという他の医師がいるということを思い出してもらえると有り難い。
いちおう弁護士も地道に考えたりはしているのである。道は遠いが。
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