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グロービートジャパン控訴審事件

原審の無罪が高裁では罰金刑になったようである。

正直なところ、原審の基準は斬新過ぎて高裁で維持されるとは思っていなかった。

この手の事件では、検察官が原審の基準イエスかノーか的な土俵のたてかたをしてきたら、原審の理由をチクチクと批判して有罪判決を書いてくることが考えられるので懸念していたのである。

ただ、本件は従前の基準で、許されない社会的評価の下落があったのかや、本当に真実であると誤信した相当な理由はないのか等を踏み込んで十分検討して欲しかった。

単なる誹謗中傷はもちろん刑事罰で処罰されるべきである。

では、名誉毀損とされるべき表現はどのようなものか?

相当な理由というのは、誰を基準に決めるのであろうか?

そもそも、新聞紙を前提に築かれた基準で私人の刑事事件を判断するべきだろうか?

これは、私人の表現の自由がどこまでが刑罰になのかという問題である。ネットという特殊な世界の問題であるかのように理解されているが、そうではない。

ネットで許されない発言は、ネット外で公表することも許されない。結構影響範囲が大きいのである。

最高裁には、その点も十分ふまえて判断をして欲しいものである。

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ロクラク事件高裁判決

記事

田中信義裁判長は「利用者の自由意思に基づく複製を容易にする環境や条件を提供したにすぎず、運営会社が複製しているとは認められない。放送を個人で視聴するのは適法な私的利用で、テレビ局側の利益を侵害しない」との判断を示した。

これは私的複製抗弁回避型カラオケ法理の可否の事案である。私は、私的複製抗弁回避型自体かなり限定的に考えるべきと思っているので当然の判決と思っているが、現にMYUTA事件などの悪しき先例がある日本なので気が抜けないところである。

この事件、おそらく、最高裁に上告と思われるが、知財高裁がカラオケ法理の適用を否定したことは意外に大きい。

判決文を入手したらまた、検討してみたい。

追記

判決文

判決文は、目的、管理支配性、利益などの要件で検討しており、特に管理支配性を重視している。そして、管理支配性については、MYUTA事件のような非常に緩やかなものでは足りないとしたものと考えられる。選撮見録事件の高裁判決と比べても大きく異なる判断といえるので、この点は最高裁の判断になるかもしれない。

私的に目についたのは以下のとおりである。

なお,クラブキャッツアイ事件最高裁判決は,(中略)本件サービスについてこれまで認定説示してきたところに照らすならば,上記判例は本件と事案を異にすることは明らかである。

「そう!こんなあたりまえなことを、なぜ、今まで誰も言わなかったのか?」という感じである。

さらに目についたのは、

デジタル技術は今日のように発達しておらず,インターネットが普及していない環境下においては,テレビ放送をビデオ等の媒体に録画した後,これを海外にいる利用者が入手して初めて我が国で放送されたテレビ番組の視聴が可能になったものであるが,当然のことながら上記方法に由来する時間的遅延や媒体の授受に伴う相当額の経済的出費が避けられないものであった。

しかしながら,我が国と海外との交流が飛躍的に拡大し,国内で放送されたテレビ番組の視聴に対する需要が急増する中,デジタル技術の飛躍的進展とインターネット環境の急速な整備により従来技術の上記のような制約を克服して,海外にいながら我が国で放送されるテレビ番組の視聴が時間的にも経済的にも著しく容易になったものである。

そして,技術の飛躍的進展に伴い,新たな商品開発やサービスが創生され,より利便性の高い製品が需用者の間に普及し,家電製品としての地位を確立していく過程を辿ることは技術革新の歴史を振り返れば明らかなところである。

本件サービスにおいても,利用者における適法な私的利用のための環境条件等の提供を図るものであるから,かるサービスを利用する者が増大・累積したからといって本来適法な行為が違法に転化する余地はなく,もとよりこれにより被控訴人らの正当な利益が侵害される
ものでもない。

私的複製抗弁回避型カラオケ法理を駆使してきた著作権団体や放送局にとって、かなり痛い一文だと思う。

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強姦被害者望まなかったのに 宇都宮地検勇み足? 起訴”強行”

http://www.shimotsuke.co.jp/news/tochigi/local/news/20090125/102761

二〇〇六年、県北で起きた強姦事件で、被害女性が告訴を取り消そうとしていたにもかかわらず宇都宮地検の検察官が起訴、宇都宮地裁は先月、判決公判の中で「告訴人の意思を踏みにじり親告罪の起訴として不相当。強く反省を求める」と異例の勧告をしていたことが、二十四日までに分かった。

 池本寿美子裁判長は「必要な捜査を遂げていても、示談の推移を見極めた上で起訴すべきだ」とし、説得は「被害者の自由な意思決定を妨げかねない行為」と指弾。一方「被害者が明確に拒否の意思表示をしなかった事情もありやむを得ない」と違法性は認めず、被告を懲役三年とした。

ちなみに、告訴はいつの段階で備わっていることが必要かについては、諸説あるところである。告訴は実態審理を入る要件であり、冒頭手続き終了前に告訴が取り下げられていれば、公訴棄却という考えも有力である。

おそらく、裁判所は起訴時で足りるとしたのであろうか?この点の裁判例は調べてないのでわからない。というより、被害者が処罰を望んでないときにムリから起訴することは希である。

ただ、被害者も望んでない処罰をして何がうれしいかわからないところである。

ちなみに、Winny事件は、開発者に対して有効な告訴はない。

開発者に対して告訴がないのに、幇助として処罰をしていいのかは、弁護人が争点としている一つである。

しかし、あまり報じられていない事実である。

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日弁連コンピュータ委員会シンポ2008「ISPを巡る法律問題」

ということで、日弁連に来ている。

プロ責法はいちおうレパートリーに入っているので、少し話する予定である。

「弁護士がプロ責法を知らないから…」と言われないようにしたいものである。

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いろんなところ

第一回公判期日について、いろんなところで取り上げられているようである

ネットでも、いろいろ書かれているようである。が、事実をちゃんと踏まえたものと踏まえていないもの、法律を理解している者と理解していないものの差が激しい。

報道が、事実のすべてだと思うことはとても危険である。

「被告人は著作権侵害目的」とか「インターネットは只が当たり前という独自の見解で」とかの検察官のでっち上げで思考が停止している人を見ると正直哀れに感じる。

思い当たる人は猛省してもらいたい。

地道に事実を伝えていくことが大切であると感じた。

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Winny事件高裁第1回期日

Winny事件高裁第1回公判期日が本日あった。

原審判決から高裁第1回期日まで2年以上も空いたことは、珍しいことである。その間に高裁の合議体が変更されていたりする。

このように遅々として進まない裁判は、日進月歩の技術開発からみて耐え難いところであるし、いつまでも刑事被告人の金子氏というのも気の毒である。

しかし、速やかな不当判決というのはもっと困るので、弁護人としては痛し痒しである。

今日は、弁護側、検察側それぞれの控訴の趣意および反論についてパワーポイントを用いてプレゼンを行った。

プレゼンについては、できる限りのことをやった。本件の問題点が裁判所にも伝わったと信じている。

それにしても、検察官のむらさきスライドにはびっくりした…すげー色彩センスである。

今後の手続きであるが、進行協議期日が予定されていて、その後、移動の関係もあり、6月ころに公判期日(修正)が予定されている。

これは、また日が近づいたらここで明らかにするつもりである。

昨日はいろいろな思いが込みあがってきて、久々に眠れぬ夜を過ごした。

おまけ

町村先生には、この前の情報ネットワーク法学会の懇親会で、お伝えしたんですがね?

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年賀状

弁護士になって、めざましいこともないままの私であるが、修習生やインターンで指導した人たちが活躍しているのを知ってうれしいときがある。

ちなみに、修習生やインターンには教えるばかりではない。教えてもらうことも結構ある。

その中でも一番なのが、とある修習生の金言

恋愛は予防法学!!

彼が結婚したとの年賀状を見て、そんなことを思い出した。

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まねきTV高裁判決

が出ている。

知財高裁もまねきTVの勝利である。

判決文

正直ほっとした。

ただ、この手のサービスは、私的複製抗弁回避型カラオケ法理で、複製が入ると必ず負ける傾向にある。

しかし、複製の有無で勝負を決するべき事件なんだろうか?

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2ちゃんねる譲渡

だそうである。

記事

「2ちゃんねるって誰がやってるの?」という質問に対して「2ch.net is managed and operated by PACKET MONSTER INC.(2ちゃんねるはPACKET MONSTER社によって管理、運営されています)」という表記になっている。

その気になればアンコントラーブルにしていくことは可能である。かつて大阪のシンポジウムでひろゆき氏も言っていたことである。

…時代の流れなのであろうか。

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