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2009/06/08

足利学校

足利事件再審の余波がいろいろあるようである。

この事件、DNA鑑定云々の話が出ているが、それは、文系出身特有の科学万能主義が露呈しただけで、それほど注目はしていない。

注目するのは、この事件では、自白調書が作られていて、裁判所は、自白の任意性を認めて「供述は具体的で体験した者としての真実味がある」としていた点である。

なぜ、人は自白をするのか?

私が修習生の頃、ある検察は「そんなん、やってるからに決まってる」と断言していた。

今思えば、おめでたい話である。

記事

「髪を引っ張ったり、け飛ばしたり。取り調べは厳しかった」「無理やり責められ、『白状しろ』『分かってるんだぞ』と体を揺さぶられた。どうにもならなくて、私がやりましたと言った」

それでも、日本の裁判所は、自白調書が大好物なのである。

それを抑止する機能も働いていない。

マスコミは、警察が逮捕する前に関係者に突撃して、あたかも犯人であるかのように報道したりする。それを見て、視聴者は何を思うのであろう。

一般の人も、死刑が大好きなようである。私に対しても、「さっさと死刑にするべき」なんて自論を述べる人もいる。

スケープゴートが大好きなようである。

しかし、そういうことを言う人に限って、自分のことは「自分は悪いことしないから関係ない」としか言わない。自分が犯人では無いのに逮捕される可能性は、考えてもみないようである。

しかし、人が人を裁く以上、そこには、かならず誤りがある。

それは確率が低いので、その人は気の毒だったと割り切るのか。

また、自分が割り切られてもかまわないと判断するのか。

人は、自らが望む手続きによって、他人をも裁くべきである。

 森英介法相は5日の閣議後会見で、「いろんな意見は真摯(しんし)に受け止める。が、全面録画は容疑者に供述をためらわせ、取り調べの機能を損ない、真相解明に支障を来す」と消極姿勢を繰り返した。

しかし、法相が、取り調べの機能は、密室下の自白強制であるかのようなことを述べているのが日本の現状なのである。

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