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2009年8月4日

2009/08/04

裁判員裁判のトライアル

早速いろいろあったようである。

記事

女性は裁判所職員に退廷を促され、出口に向かいながらも「労働者人民を裁く側に動員するな」と叫び続けた。

「労働者」とか「人民」とかに甘美な響きを感じる方の言動のようであるので、つっこむのもあれであるが、その言動は勘違いも甚だしい。

以下は、金沢大学の東川准教授からのメールの無断転用。

制度の趣旨として、裁判所がまず第一に刑事被告人の権利を守るため、と言わないのは疑問。アメリカの裁判官に、なぜ陪審制度をやってるんですか、と聞いたら例外なく「だって、そうしないと被告人の権利が守られないでしょ」と返事されます。

えん罪に対して無罪判決を出すのも、被告人の権利を守るのも、裁判員の役割なのである。

追記

裁判員について種々議論があるが、多くの人は被告人の有罪を前提としているものばかりである。

しかし、無罪の事案も当然ある。裁判員はその際に有罪を無理矢理に認定するものであってはならない。

司法取引もないのに日本の有罪率は高い。それは、裁判所が有罪の推定の元に被告人を有罪にしようと腐心しているからでもある。

それは、一般常識と乖離した広範な構成要件だけではない。

検察側証人に対する反対尋問で、弁護人の尋問に介入して、裁判官が誘導尋問で模範解答を示唆したこともあった。

法廷が終わってから、検察官が裁判官室まで行って、弁護士抜きで、あれこれ打ち合わせしているのは日本では珍しくない光景である。

これまでの職業裁判官による刑事裁判は、超ハンディキャップマッチなのである。裁判員制度とはそのようなものに対するアンチテーゼでもある。判断者には常に社会と広いコミットメントが必要である。

こんなことは過去の記事を読んだら繰り返し書いているのだが…

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