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2009年8月27日

2009/08/27

刑法学者から見た刑事司法

中山研一先生は著名な刑法学者である。

ブログなんて作ってますます元気な様子である。

そのなかでもこんな記事を拝見した。

控訴審弁護について書かれた記事である。弁護団に参加して活動までされている様子で、頭が下がる思いである。

以下引用(ほとんど全文だが)

その控訴審は、実質的な審理を一切することなく、8月7日に判決を言い渡しましたが、案の定、原審の有罪判決を維持し、被告・弁護側の控訴を棄却するというものでした。

その判決文が送られてきましたので、読んでいますが、従来からの型にはまった控訴棄却判決の手法を踏襲したもので、裁判所としては、もう手慣れたものだという印象を受けました。

それは、検察官の立証の不十分さをカバーする形で有罪とした原判決をそのまま維持することを前提にして、被告・弁護側の「詳細な控訴理由」には極めて冷たく、最初から理由なしという結論を導くための論理を探して、これを簡潔かつ無難に記述したものにすぎないというのが率直な感想です。

最大の問題は、有罪の証拠と無罪の証拠とが拮抗するような「否認事件」であるにもかかわらず、判決の中に「悩みぬいた」痕跡を発見することができないという点にあります。

本件では、警察・検察の初動捜査がきわめてずさんで、重要な証拠物であるバイクも早々と処分してしまい、後続車の同乗者の1人の「目撃証言」があるだけで、検察官は事故現場の科学鑑定すら申請しないという消極姿勢が目に見えているにもかかわらず、裁判所はむしろその欠陥を意識的に見過ごしながら、被告人に不利な側面には極めてきびしい姿勢を示すことによって、有罪の心証を維持したものというほかありません。

そこには、「冤罪を見抜こうという姿勢」が全く感じられないのです。そしてそれが、「足利事件」のような冤罪を生み出す共通の土俵になっているように思われます。

日本の刑事司法は酷いものであるが、特に控訴審は絶望的である。

原判決の問題点の根拠となる弁護側の証拠請求は、ほとんど原審で提出可能であったと証拠採用せずに公訴棄却判決を下すことが多い。高裁の裁判官であれば理解してもらえるのではないかという被告人の最後の望みは、この時点で絶望に変わる。

私的な問題は、中山先生のような大家でさえ、刑事司法の現状をご存じ無かったことである。

講学上の議論も良いが、実務を無視しては意味がない。刑法学者と実務は相互にコミットメントが必要である。現状は、警察の御用学者よろしくしている学者はいても、反対の人は見あたらない。

それが、現状なのである。これを見ても一般の人はにわかには信じようとはしないが。

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