あしがかり
足利事件の再審判決が出たようである。
判決要旨については、読んでみて欲しい。
ただ、私が触れたいのは、それではない。
再審無罪が言い渡された26日の「足利事件」の菅家利和さん(63)の再審判決公判で、佐藤正信裁判長は判決理由の朗読後、「判決は以上ですが、今回は、自戒の意味を込めて菅家さんに謝罪させていただきたい」と切り出し、「菅家さんの真実の声に耳を傾けられず、17年半にわたり自由を奪う結果になったことを、裁判官として申し訳ないと思います」と謝罪。法壇の3人の裁判官が立ち上がり、「申し訳ありませんでした」と深々と頭を下げた。
これに対して、裁判官が頭を下げるべきではないという考えもあろう。また、頭を下げるのは、当時の判決を下した裁判官であって、この裁判官ではないという考えもあろう。
ただ、私たちが扱っているのは人の人生である。その判断を誤れば、人の人生が取り返しつかないことになる。その重要性を私たちはどれくらい理解しているのだろうか?
今回は、裁判官の矜持を見せられた気がした。
私は、弁護士であって、法廷では検察と戦い、裁判所と闘っている。しかし、法曹として他の法曹に対する敬意をはらっているし(その上で、検察官が一番嫌がる弁護活動をしていたりするわけであるが)、また、それに値する弁護士でありたい。
そう思っている。
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コメント
無知で不勉強でしたらすいません
どういった立場であれ、間違いであれば頭を下げる、至極当然な感じがします。
ひと一人の人生を狂わせた過ちの重さを、裁判所あるいは裁判官としてではなく、ひとりの人間として感じ取ったうえで出た自然の発露だと思いますし、菅家さんにその思いが届けばと思ってます(なかなか難しいとは思いますが)
投稿: soyjoy | 2010/03/30 12:37
>soyjoyさん
そうですね。
また、裁判官がその思いで、日々の裁判に対峙してほしいと願っています。
投稿: Toshimitsu Dan | 2010/03/30 19:30