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2010/09/17

押尾学被告に懲役2年6月の実刑判決

押尾学氏が2年6月の実刑判決になったようである。

記事

この判決の評価は、様々であろう。報道のみでしか見ていない私が論評するのもなんであるが、比較的クレバーな判決という気がする。

保護責任者遺棄致死の検察の主張に対して、保護責任者遺棄のみ認め、致死は排斥したようである。そして量刑はちょっぴり厳しめである。

本当に医者を呼べば助かったのか?そうでないのか?たらればの判断は結構むずかしい。

日本は、裁判員が量刑判断までするという世界的にも珍しい制度である。裁判員制度について、素人が判決をするととんでもない判決をするのでけしからんという意見も結構あった。

そんなこと言われた割には、裁判員もちゃんと機能しているではないか。

そんな感じを受けた。

控訴審ではどうなるであろうかが注目される。

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コメント

本件で押尾被告が保護責任者の地位にあるということが納得できません。
先行行為に基づく保護義務があったとされたケースと理解しています。
しかし、亡くなった方は、成人で、自分の意思により法律で禁じられている覚せい剤を使用したものです。
生命身体の危険がある、刑罰で禁じられている薬物を自ら使用して、その結果、扶助を要する状態に陥ったものです。
一緒に同じ行為をしていた共犯者が保護責任者とするのは本罪が本来予定していた範囲を超えているように思います。
同じく先行行為がある場合としてひき逃げがありますが、ひき逃げのように加害者と被害者の関係にあって、過失により一方的に死傷させた場合でも、一般的には保護責任者遺棄が成立しないのと均衡を失しているように感じます。
本件は共犯者同士であり、加害者と被害者の関係にないと思うのです。
例えば、テロリストが爆弾を製作中に誤爆して仲間の一人が負傷したが、発覚を恐れて他の仲間が逃走した場合、保護責任者遺棄が成立するでしょうか。
成人同士で、しかも何回か覚せい剤を使用した経験がある場合には、どちらが覚せい剤を提供したかは、それほど重要でないように考えますがいかがでしょうか?

投稿: レイ | 2010/09/17 21:59

こんばんは

本件とは直接関係無いのかもしれませんが・・・

裁判官と裁判員をからめた時の有罪無罪の基準をTVで特集していて思ったのですが、裁判員の意見ってやっぱり参考意見にしかすぎないのかなって思いました。

本件に関しては、特にその思いが強くあります。

稚拙ですいません

投稿: soyjoy | 2010/09/17 23:42

>レイさん
ご意見拝見いたしました。

本件で、いかなる場合に保護責任が認められるかというのは、いちおう認定要素らしきものは論じられているのですが、実際の事件への当てはめは、常に難しいところです。

レイさんのような意見ももっともですし、他方で、こんな奴に致死が成立しないのはおかしいという意見もあります。

私の意見は、証拠を見ていない野次馬的意見に過ぎません。

ただ、保護責任を認めつつも死亡との因果性を否定するというのは、証拠を検討していなければ出来ないことだという印象を感じています。

なお、MDMAが覚せい剤と言えるかは、すこし難しいところですね。

投稿: ToshimitsuDan | 2010/09/18 15:35

>soyjoyさん

有罪判決には、裁判員6名と裁判官3名のうちの過半数の賛成が必要で、裁判員と裁判官のそれぞれ1名は賛成しなければならないことになっています。

もっとも、おっしゃりたいことは、そんな規則の話ではなく、裁判員が裁判官のいいなりになってないかということだと思います。

私は、真実が何かよりも、上が気に入るかばかりを気にする「ヒラメ裁判官」だけの合議体よりは良いかなと思っています。

その上で、裁判員裁判において、どのような検討がされているかは解りませんが、真摯な検討がされていることを願うばかりです。

投稿: ToshimitsuDan | 2010/09/18 15:42

>なお、MDMAが覚せい剤と言えるかは、すこし難しいところですね
私はMDMAを知らないのですが、アンフェタミン系の錠剤であるとすれば、米国では中学生に蔓延しているドラッグです(いわゆるXTC)。
確かに、どのように評価すればいいかは難しいと思います。しかし、日本での大麻取締の過酷さを考えれば、取り扱いが覚せい剤と同じでも仕方ないと思っています。
また因果関係は事実認定ですが、保護責任者の地位は法解釈と思います。暴力団員が中学生に覚せい剤を注射した判例を保護義務の発生する限界とするのがバランスのいい解釈ではないかと思っているのですが。

投稿: レイ | 2010/09/20 19:21

ご教示ありがとうございます。
専門家の先生に教えていただき、大変ためになりました。感謝申し上げます。
私は、MDMAをアンフェタミン系の錠剤と思っていましたので、覚せい剤と思い込んでおりました。

保護責任者の地位は、実質的な考察により作為義務の有無を判断することになることは理解できます。しかし、そこには何らかの指標がないと、助けてあげるべきだから作為義務あり、というように、倫理的な判断が法的判断に取って代わられるような気がするのです。今回のケースはそれに近いのではないかと感じました。
患者と看護人、親と子、というある程度分りやすい関係が、保護責任者の要件として、もともと予定されていたように思います。
本件で、作為義務の発生する根拠として、引受を指摘されています。しかし、引受行為に、そのまま放置することまでを含めると、深夜に人通りの無い道で、ひき逃げをした犯人は、やはり被害者の救命可能性が少ないので、被害者を車に乗せなくとも、保護責任者になるのではないでしょうか。この場合は、扶助を要すべき状態にしたのが加害者の過失行為ですから、作為義務の発生する根拠は、より強いと思います。
また、ホテルの一室で知り合い同士が過ごし、片方が急病になった場合には、一般的に保護責任者となるように思います。
もちろん、そうであっても良いのですが、やはり保護責任者の範囲が倫理的な判断により広げられてしまい、本来の犯罪類型から離れているように思えるのです。不作為の引受までを含めると、引受という指標が機能しないように感じます。もう少し類型性の高い、扶助を要すべき者と保護者という関係が保護責任者遺棄の成立には必要と思います。

投稿: レイ | 2010/09/21 21:12

>レイさん

コメント拝見いたしました。

場当たり的な幇助の基準で大変な弁護をしていた私がいうのもなんですが、規範的な構成要件はとても難しいものです。

場当たり的に、おまえは悪いやつだと言うのは問題ですが、他方で、全てをあらかじめ盛り込むのは難しいものです。

常に、類型化へ向けての努力をするべきだと思います。

投稿: ToshimitsuDanTo | 2010/09/22 00:51

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