同志社大学ロースクール
14日は、同志社大学でWinny事件を語ってきた。
久々のWinnyは、忘れていることも多かった。
これから法曹を目指す彼らに伝えたかったのは、法解釈や判例評釈のような話ではない。
語りたかったのは、事件を通じて、ときには怒り、ときには焦り、ときには涙を流した弁護士としての生身の経験である。
この事件で、私よりも優秀な弁護をできた人はたくさんいたかもしれない。
しかし、彼のために人生のうち何年かを費やす覚悟があった人はいなかった。
弁護士は、自分があきらめたときに、事件が終わる。
その後ろには何もないのである。
その気概さが伝わったのならうれしい限りである。
おまけに、司法試験も、あきらめたときに、試験が終わる。
心ある法曹になってほしいと願っている。
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コメント
貴重なお話ありがとうございました。いろいろな経歴をもつ弁護士の方のお話を聞き、そのたびに感銘を受けております。先生がお話の最後の方で事件の苦労を思い出されたのか、言葉に詰まってらっしゃったのが印象的でした。
もうすぐ著作権法の試験があり、間接侵害が出そうなので頑張りますwww
投稿: ロー生 | 2011/01/19 22:56
>ロー生
まさに、いろいろな苦労ですね。
しかし、そこまで思い入れをした事件なのです。
事件や依頼者のために、心を使えることは、弁護士にとって、幸せなことかもしれませんね。
試験まで、残り少ないですが、最後まで、気を抜かず頑張ってください。
投稿: Toshimitsu Dan | 2011/01/20 16:19