恫喝取調事件第2回公判
3月30日には、大阪東警察署自白強要事件の第2回公判が行われた。
冒頭において、裁判所は、検察に対して、訴因変更を促すべく、質問をした。
これには前提があって、被害者代理人は、本件は特別公務員暴行陵虐罪で審理されるべきであるとして、付審判請求(検察官が起訴しないときに強制的に起訴するための手続)をして、また、検察庁にも訴因変更(審理される罪を変更する手続)をするよう申し入れていた。
そういうことがあったので、検察官は、これに対抗するためか、第1回公判で、捜査を担当した大阪地検特捜部の検察官の作成した、本件において脅迫罪しか成立しないという弁解を書いた報告書を証拠として提出していたのである。
検察が、いちいち、お巡りさんを庇うために、重い罪が成立しないということを証拠にして縷々述べること自体、自分達に向けられている批判を理解していないと言わざるを得ないが、さらに、そこに記載されていた内容も、ことさらに罪を軽くするための無理筋な事実認定と法律解釈に終始したものであった。
しかも、その検察官の見解は、付審判請求手続において、裁判所から否定されているのである。
そういう事情があれば、当然、特別公務員暴行陵虐罪に訴因変更するべきであるが、検察官は、裁判所からの質問に対して、「庁で協議をした結果、脅迫罪しか成立しない」と強弁してこれを拒否したのである。
被告人をどの罪で訴えるかは、残念ながら、検察官の独占事項である。検察官が決めれば、どんなにナンセンスであっても、訴因変更を拒否しさえすれば罪を変更することはできない。ここで、重要なのは、罰金か、禁固以上の罪かである。脅迫罪であれば、罰金刑がありえるが、もし、特別公務員暴行陵虐罪に訴因変更すれば、罰金刑の可能性は無くなり、恫喝お巡りさんは失職が確実になるからである。
そういうことで、検察官は、訴因変更を拒否して、恫喝お巡りさんを組織を上げて庇う決意を示したのである。
そんな冒頭の手続きの後、情状証人として、お巡りさんの上司の証言のあと、被告人質問となった。
この被告人質問が、最悪であった。
恫喝お巡りさんは、実際には、任意捜査の最初から、黙秘権の告知もせず、当初から被害者を犯人と決めつけて脅しまくりだったことは、取調を録音したICレコーダーの音声データからはっきりしているのである。
それにも関わらず、恫喝お巡りさんは、被告人では、被害者がにやけてしらを切ったから、すこしやり過ぎたとか、女性を守るためだったとか、挙げ句の果てには、被害者が知らないと言うばかりで、積極的に自分の潔白をはらそうとしなかったのが問題だった等と居直り強盗さながらの、デタラメの事実を延々と述べた後に、自分の子供が生まれるとか言って勝手に盛り上がって(被害者も妻も子もいる家庭人ということを全く理解せず)独りよがりに涙まで流す始末で、肝心な、被害者に対する謝罪は、弁護人から促されて渋々「はい」と認めた程度であった。
これに対する、検察官の尋問は、あえて、被告人の情状事実を引き出そうという、とても親切なものであった。
その後、被害者の意見陳述がおこなわれ、検察の論告となった。
検察は、論告であるにも関わらず、あえて、被害者に落ち度があるなど被告人に有利な事実を述べて、「罰金20万円」を求刑した。
求刑を聞いた瞬間、傍聴席がざわめいた。押し殺した怒号といった方が良いかもしれない。法廷が終わった後には、某所の関係のお方と思われる人以外のほぼ全ての人が口々に求刑不当を訴えていた。
結局は、検察官は、再度、恫喝お巡りさんを組織を上げて庇うという姿勢を明確にしたのである。
求刑は、起訴検事からの引継ぎ事項なので、捜査を担当した特捜部検事の意見であろう。
私は、これまでの法廷を傍聴して、近時の大阪特捜部不祥事は、異常な検察官1人の問題ではなく、組織自体の腐敗が生んだものだと確信した。
これに対して、裁判所はどう答えるのであろうか。
判決日は4月28日午後1時半。傍聴券発布が必須である。
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