一握の気持ち
無事、法律相談を終えて、帰ってきた。
岩手県は、盛岡等は、あまり被害がないが、沿岸部には大きな災害があった。
私が行ったのは、陸前高田市立第一中学校であった。陸前高田は、被害がとても大きなところであった。
現在、被災地では、いろんな支援活動がされている。水、食料、医療、その中で、インターネットの支援は秀逸であった。阪神大震災との大きな違いは、ネットである。多くの情報はネットで公開されている。各種情報を確認するのに、非常に役に立った。
ただ、WIDEプロジェクトを知るもの以外は、誰か解らないところが、WIDEらしいというか・・・連絡先くらい書こうよ。
避難場所の近くは、川沿いに、荒れ果てた市街地が広がっていた。
いや、かつて市街地であったがれきの山と言った方が正しいのだろうか。
惨状は、グーグルアースでも確認できるはずである。
市役所に確認してと回答しようにも、市役所自体が流れてしまっているのである。
ここでは、生半可な知識は通用しない。
避難場所では、体育館で段ボールの仕切りをして、寒さの中で、寝泊まりしている人々がたくさんいた。
私が、法律相談をしている中、警察の方が、検死の写真を持参して来た。彼らは、避難場所を回って、遺体の身元を確認しているのである。
被災地では、いまも、遺体が発見され、いまだ、発見されていない遺体もある。
写真の遺体は、傷だらけで、泥だらけで、とても、痛々しかった。普段であれば目を背けたくなるものである。
あるおばあさんは、涙を流しながら、写真をめくり続けていた。
彼女は、これまで何度も涙を流したのであろう。
それでも、なお、愛する家族の手がかりを捜しつづけなければならないのである。
私の心に一番残ったのは、写真で伝えることすらできない、被災者の悲しみであった。
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