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2017年12月1日

2017/12/01

強制わいせつ罪の判例変更

先日、強制わいせつ罪成立の要件を巡り、判例変更がされたというニュースを見た。
記事

早速、裁判所のHPにも掲載されている。
HP

この話は、法学部で勉強した者でも無い限りなかなか解りにくいので、ここで解説してみることにした。

これまでの刑法理論では、単なる性的に被害者が嫌な行為をする意図では足りず、主観的構成要件要素として、性的意図が必要とされた。

注 ここまで読んでなにがなにか良く分からない人は、最後の一文だけ読んでも大意は理解できます。

第一七六条 十三歳以上の男女に対し、暴行又は脅迫を用いてわいせつな行為をした者は、六月以上十年以下の懲役に処する。十三歳未満の男女に対し、わいせつな行為をした者も、同様とする。
 

何でかというと、客観的な行為として、人の嫌なことを強要することは、強要罪等が成立する。

第二二三条 生命、身体、自由、名誉若しくは財産に対し害を加える旨を告知して脅迫し、又は暴行を用いて、人に義務のないことを行わせ、又は権利の行使を妨害した者は、三年以下の懲役に処する。
 

それを超えて、強制わいせつ罪が成立するためには、単に強要的な行為がおこなわれるだけでは足りず、主観的に性的な意図が必要だとする学説が有力に主張されてきたのである。

最高裁(昭和45年1月29日)もこれを肯定した。

「刑法176 条前段のいわゆる強制わいせつ罪が成立するためには,その行為が犯人の性欲を刺 戟興奮させまたは満足させるという性的意図のもとに行なわれることを要し,婦女 を脅迫し裸にして撮影する行為であっても,これが専らその婦女に報復し,また は,これを侮辱し,虐待する目的に出たときは,強要罪その他の罪を構成するのは 格別,強制わいせつの罪は成立しないものというべきである」

この判例に対しては、従前から、わいせつか否かは客観的に区別されるべきであるという批判もあった。今年、最高裁裁判官となった山口厚先生もその1人である。

今回の最高裁は、昭和45年判例を判例変更したのである。

判例変更は、15人の大法廷で弁論を開いておこなう必要がある。

私は経験が無いが、ほとんど、ゼーレなあれである。

刑法176条にいうわいせつな行為に当たるか否かの判断を行うた めには,行為そのものが 持つ性的性質の有無及び程度を十分に踏まえた上で,事案 によっては,当該行為が行われた際の具体的状況等の諸般の事情をも総合考慮し, 社会通念に照らし,その行為に性的な意味があるといえるか否かや,その性的な意 味合いの強さを個別事案に応じた具体的事実関係に基づいて判断せざるを得ないこ とになる。したがって, そのような個別具体的な事情の一つとして,行為者の目的 等の主観的事情を判断要素として考慮すべき場合があり得ることは否定し難い。

し かし,そのような場合があるとしても,故意以外の行為者の性的意図を一律に強制わいせつ罪の成立 要件とすることは相当でなく,昭和45年判例の解釈は変更され るべきである。

主観的構成要件要素としての、性的意図は不要としても、故意論として、わいせつな行為をおこなっていること、わいせつな結果を生じさせていることに対する認識は必要である。

最高裁は、わいせつ性の認識を超えて、性的な意図までは一律には不要とした点で、従前の判例を変更したものと評価出来る。

ただし、最高裁の理由付けは曖昧である。

最高裁は、性的意図を一律に強制わいせつ罪の成立要件とすることは相当では無いとするが、基本的に、主観的構成要件要素としての性的意図は一律に要するか要しないかである。基準も示さずに、この場合は、性的意図が必要であるが、この場合は性的意図は必要で無いというのであれば、世間が混乱して仕方ない。

最高裁も、わいせつな行為に当たるか否かの判断をおこなう際に、性的な目的の有無を判断することを要すると述べているが、主観と客観をごっちゃまぜの構成要件論を採用しない限り、性的意図という主観的構成要件要素と、客観的な構成要件要素であるわいせつ行為は別の要件である。
最高裁を意地悪に読めば、被告人の認識があれば、主観的構成要件要素でもって、客観的構成要件要素を認定できることになるし、「とりあえず自白獲ってこいや!」判決との誹りを免れない。

なんとなく、主観的超過要素の問題点をわいせつ性の要件にペンディングしただけにも思われる。

性器ならぬ世紀の判例変更であった。

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