ろくでもない判決
自分の性器のCADデータを支援者に配ったとして、わいせつ電磁的記録等送信頒布などの罪に問われたろくでなし子の事件の判決が先日あった。
通常、上告を棄却するときはぺらぺらな決定を送ってくるだけなのであるが、なぜか、最高裁は弁論を開かず判決期日を指定したため、何をしたいのかということが噂になっていた。
参考 刑事訴訟法
第四百八条 上告裁判所は、上告趣意書その他の書類によつて、上告の申立の理由がないことが明らかであると認めるときは、弁論を経ないで、判決で上告を棄却することができる。
上告棄却ならペラペラ一枚で終わるはずだが、なんでか、最高裁は、わざわざ、判決を期日を指定して、上告を棄却判決をしたのであった。
提供の動機、経緯に芸術性、思想性が認められるという弁護人の主張については
行為者によって頒布された電磁的記録又は電磁的記録に係る記録媒体について,芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の有無・程度をも検討しつつ,同条のわいせつな電磁的記録又はわいせつな電磁的記録に係る記録媒体に該当するか否かを判断するに当たっては,電磁的記録が視覚情報であるときには,それをコンピュータにより画面に映し出した画像やプリントアウトしたものなど同記録を視覚化したもののみを見て,これらの検討及び判断をするのが相当である。
とガン無視である。
しかし、下級審で、わいせつ性が認められたのは、性欲を刺激するという理由のはずである。これを前提にすると、周辺事情を取捨して、画像だけで性欲刺激を判断するというのは、かなりワビサビがなく、とても男子中学生的な判断である。
次に、データの提供は、女性器に対する卑わいな印象を払拭し,女性器を表現することを日常生活に浸透させたいという思想によるという弁護人の主張に対しては
女性器を表現したわいせつな電磁的記録等の頒布それ自体を目的とするものであるといわざるを得ず,そのような目的は,正当なものとはいえない。
と、ろくでなし子の活動全否定というより全人格否定である。
結局のところ、わざわざ、呼び出して宣告するような中身のあるものではなかった。
ところで、わいせつ罪は、社会法益に対する罪であるが、なぜ、刑事罰の対象になるかというと説明が難しい。
現最高裁判事と同名のそっくりさんである刑法学者の山口厚氏は、わいせつ罪の保護法益を以下に捉えるかは困難な問題であるとして、性的秩序・風俗をわいせつ罪の保護法益としている。
しかし、現在の日本において刑罰によって保護しなければならないような性的秩序とか風俗とはなにかと問われるともやもやである。
むしろ、明治時代に処罰法規が設けられたから、今も保護法益を正当化するためにいろいろ考えているという感じである。
次に、わいせつとはなんぞやというのは結構難しい問題である。
サンデー娯楽事件(最判昭和26年5月10日)①いたずらに性欲を興奮または刺激させ、かつ、②普通人の正常な性的羞恥心を害し、③善良な性的道義観念に反するものというが理由を示し、これが、現在もわいせつの定義とされている。
そして、著名なチャタレー事件(最大判昭和32年3月13日)では、サンデー娯楽事件を踏まえて、さらに性的道義観念に踏み込んだ判断をしている。
猥褻文書は性欲を興奮、刺戟し、人間をしてその動物的存在の面を明瞭に意識させるから、羞恥の感情をいだかしめる。そしてそれは人間の性に関する良心を麻痺させ、理性による制限を度外視し、奔放、無制限に振舞い、性道徳、性秩序を無視することを誘発する危険を包蔵している。
この性欲=獣=非道徳って、いつの時代のどこの話だというところであるが、その後の裁判例を見ると、普通人の性的な性的羞恥心や性的道義観念というのが時代にそぐわないと考えたのだろうか正面から検討されなくなり、現在は、性欲刺激的要件1本主義的な基準になっている。
私は、これは判例変更じゃないのか?と思うところであるが、裁判所は、令和の時代になっても、昭和20年代の道徳観念にしたがって、明治に規定された刑事規定を擁護しているということである。
で、何が性欲を刺激するかという話であるが、これまた、日本は独特である。性欲刺激されるのは性器に限られるとでも考えているのであろうか。しかし、男性器モチーフのおみこしは相当リアルでもおとがめなしなので具体的になにがわいせつかは私にも良く分からない。
ところで、わいせつに関する考え方程、国によって異なることはない。
例えば、米国では、有名なミラー判決で、米国最高裁は、①通常人にとってその時代の共同体の基準を適用して、その作品が全体として好色的興味に訴えているか、②その作品が明らかに不快な仕方で州法によって特定的に定義された性行為を描いているか、③その作品が全体として重大な芸術的政治的科学的価値を描いているかというミラーテストを示した。その結果、米国ではハードコアポルノに処罰の対象が限定されている。
また、ジェンキンス判決で、米国最高裁は、禁止が通常の性欲を刺激するだけのものにまで及ぶ限りで修正第1条に反するとしており、チャタレー事件やその後の日本の裁判例とは性欲刺激に対する評価がまったく違う。
ただ、米国では、キリスト教の道徳的な規制が結構ある(あった)。この点、性器さえ出さなければ変態プレイなんでもありの変態天国の日本とは大違いである。
で、脱線から戻って、ろくでなし子の事件であるが、自己の性器のジオラマにも起訴されていたがこちらは無罪で確定している。
検察も弁護人も敗者である。焼け太りという声も聞こえてきそうであるが、旦那と子宝と一部無罪をゲットしたろくでなし子の1人勝ちということでいいのでは?
というわけで、ろくでなし子とやまべんの動画でもどうぞ。